待っているひと
わたしの主治医の先生は、お父様の代からの開業医で
奥様も受付に立っており
お母様も時々病院で仕事をされています。
1階が病院
2階はご自宅です。
あるとき、診察室で雑談になり
先生には小学生の息子さんが二人いるという話を伺いました。
「先生はお忙しいけれど、息子さんと遊んでいますか?」
と質問すると
なんということを聞くのだ、という顔で見られました。
先生の病院の待合室は常に満員で
新規の患者さんの受付は難しい、といわれるほど
混雑しているからです。
先生はキリっとした表情になり
「その時間を作るのは無理なんだよね。息子たちにはかわいそうだけれど、遊ぶことはできない。でもきっとわかってくれていると思う」
というようなお返事でした。
わたしは追い討ちをかけるように
「先生の息子さんたちは、わたしよりもずっと前から、診察券を出して待っているんですよ。自分たちの番が回ってくるのを」
と言ってしまいました。
普段なら、相手の心情を理解して
「仕方の無い事ですよね」などと言うわたしなのですが
その時はなぜかそう言ってしまいました。
わたし自身が、フルタイムの仕事と家庭を両立させてきた経験も踏まえて
開業医ともなれば、世帯主ともなれば
どんなに過酷な日常なのかも想像に難くないけれど
でも、先生を待っているひとは患者だけではないんですよ…
と、どうしても伝えたかったのです。
もちろん待合室には子どもたちの姿はないけれど
小さな手に診察券を握りしめて
受付に診察券を並べて
ソファに座って待つ息子さんたちの姿が
わたしには見えるような気がしました。
それは、子どもの頃
父親が不在で
母親が仕事から帰ってくるのを待っていた自分の姿でもありました。
「わたしの名前はいつ呼ばれるんだろう」
と、聞き分けよく待っている。
まさか何日も呼ばれないとは、思ってもみなかったこと…
先生は、わたしの目を見て
「こんど休みの日には、かならず遊ぶことにしますよ。ありがとう」
と言ってくださいました。
それが、話を終わらせるためだったのか
ほんとうに約束を守って
息子さんとの時間を捻出したのか
わたしには確かめる術もありません。
医療への使命と
家族を幸せにするための仕事がある身にとって
1分1秒は貴重な砂時計です。
時が過ぎ
息子さん達も
「友達と遊ぶ方が楽しいよ」と言う年齢になったことと思います。
こんどは親の側が診察券を出して順番待ちをする立場になります。