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「斜陽」 のM・Cをめぐる考察

「空気のせいかしら。陽の光が、まるで東京と違うじゃないの。光線が絹ごしされているみたい」

太宰さんの「斜陽」は、斜陽の書かれた大戦直後の
国際情勢における日本ということを描いていると思われます。


M・Cの出てくる第四章の内容は、主人公が恋人に書いている手紙です。
結婚とそれにまつわる人間関係の揉め事のくだりから始まります。
(こういう言い方は自分の仕事的に相応しくなくてそれが困る気がしますが)

>御返事を、祈っています。
 上原二郎様(私のチェホフ。マイ、チェホフ。M・C)

斜陽が「桜の園」に由来しているからロシアのチェーホフですが、

同時に、アメリカのマッカーサーとも掛けられていると思います。そして、

>英人の女教師が、イギリスにお帰りの時、十九の私にこうおっしゃったのを覚えています。

恋愛と年齢の関係について語られるくだりでは、英国も出てきます。
女教師は交易、外交のことを言っているように思えます。


主人公の恋愛相手は作家で、作者自身がモデルだとそれはよくいわれることですが
するとこの師匠は井伏さんでしょうか?

>「このお別荘を、お売りになるとかいう噂を聞きましたが」
師匠さんは、意地わるそうな表情で、ふいとそうおっしゃいました。

>私は笑いました。


>「ごめんなさい。桜の園を思い出したのです。あなたが、お買いになって下さるのでしょう?」

これは土地の相続、やはり結婚の話です。


>或る宮様のお住居すまいとして、新円五十万円でこの家を、どうこうという話があったのも事実ですが、それは立ち消えになり

この没落貴族の母と娘の主人公が、都落ちして暮らす伊豆の別荘というのが

>「わあ、ひでえ。趣味のわるい家だ。来々軒。シュウマイあります、と貼りふだしろよ」

主人公の弟の言葉からも分かるのですが、中国趣味ということらしいのです。

>ここへ引越して来たのは、去年の十二月、それから、一月、二月、三月、四月のきょうまで、私たちはお食事のお支度の他は、たいていお縁側で編物したり、支那間で本を読んだり、お茶をいただいたり、ほとんど世の中と離れてしまったような生活をしていたのである。

やはり支那間と出てきます。
疎開地での、世の中と離れてしまったような生活というのは
どこか別の国での日々のように思えてくるくだりです。

>二月には梅が咲き、この部落全体が梅の花で埋まった。そうして三月になっても、風のないおだやかな日が多かったので、満開の梅は少しも衰えず三月の末まで美しく咲きつづけた。朝も昼も、夕方も、夜も、梅の花は、溜息の出るほど美しかった。そうしてお縁側の硝子戸をあけると、いつでも花の匂いがお部屋にすっと流れて来た。

チェーホフの「桜の園」とされる土地は
現ウクライナの旧ロシア領を唆しているといわれます。
梅の歴史は桜よりも古く中国由来の花です。

>三月の終りには、夕方になると、きっと風が出て、私が夕暮の食堂でお茶碗を並べていると、窓から梅の花びらが吹き込んで来て、お茶碗の中にはいって濡れた。四月になって、私とお母さまがお縁側で編物をしながら、二人の話題は、たいてい畑作りの計画であった。

畑作りというのは開墾、開拓ということを示唆しているように読めてきて
梅の花の香る庭のある別荘地は、満州国のことではないかと思いました。

(続く)





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