(無題)

最近の私はだめだめです。
ご飯食べられないのでプロテインで食いつないでいるし、部屋は相変わらず学校の道具が散乱していて汚いです。あんなに注意されたのに。
父さんたちには悟られないようどうにか誤魔化しています。
期待をされてここにいるはずなのに動けず寝てばかりいます。
寝てばかりでは楽しくないです。
父さん、母さん、先生、家族、友人に知り合い、学校の後輩、そして同居人。私に関わってくれたすべての人に申し訳ない。
人に迷惑をかけるくらいなら最初からいないほうがいい。
期待はずれでごめんなさい。

これを知ったら父さんたちは何というのでしょうか。学校を辞めさせられるのでしょうか。しかしご指導していただいている先生方の期待に応えたいし、まだ一緒に話していたい。創作物のアドバイスを頂きたい。学食は美味しいし情報や技術を学ぶための設備は整っている。それなりに知り合いも居るし、ここで途中退場したら一生後悔する人生を歩む予感があります。だらだらと、ただそのことだけを考えるような。自分が一番嫌っているはずの人間に、自分自身がなってしまうような。
バイトも辞めさせられるのでしょうか。
けれども。バイトがあるから体調管理しっかりしなきゃと思えるし、お世話になっている人と一緒に仕事をするのは楽しいです。研修も終わっていないしまだ自分には成長できる部分、学べるものがあるはずだと信じています。
予定のない生活は苦しいです。
私はまだここに居たい。


まあ私が死ぬとしたらきっと餓死なのでしょう。今まさに身体が食糧難でピンチですから。とりあえず学食のカツハヤシを残さず食べられるようになるのが目標です。

私はなぜ映像業界を目指しているのでしょうか。映像系は給与の面で厳しいところが多いです。給与と自分のスキルが合致する場所を今は必死で探しています。今の自分の生活から察するに無茶は出来ないなと感じています。生活費のために食費を切り詰めるとか。徹夜をするとか。それでも自分が映像に行きたいと思うのは何故でしょうか。自分の作るものに責任を持ちたい、というのが共通しているのではないでしょうか。何より自分の作品で他者を喜ばせたいというエンターテイナーの感覚はまだ失っていないつもりです。自分の想像できるもの、頭の中にある物語を形にしたい。そのために必要なことを考え、自分と、他者と、世界と向き合う。それが自分の理想とする人生なのだと。
それとゲーム業界。グラフィック周りの仕事を熱望して入学しました。が、学校で勉強するにつれ、「ゲーム業界に行って自分は幸せになれるのか」「自分が本当にやりたいこと、興味のあることは何か」ということを考え続けていました。途中で映像の魅力に取りつかれてそっち方面に興味がそれたのもそれが原因かもしれません。

「趣味」ってなんでしょうか。ただ成長を考えず楽しむもののことを指すのでしょうか。自分の行為──自分の作りたいもののために手を動かすことは、どうやらそれには当てはまらないようなのです。技術力を常に渇望しているし、制作に必要なものへの資金は惜しみません。バイトで得たお金の使い道もそれらに充てています。「好きなことは趣味でいい」という言葉がありますが、その言葉を嫌うほどに私はあきらめが悪いようです。仕事として作り続けることを諦められない。

とはいえ、「就活のために制作を続けるなんて虚しい」と思っていた時期がありました。今も心のどこかで考えていることではあります。就活のため「だけ」なのでしょうか?そのため「だけ」に作られたものなど何の役に立つのでしょうか。でも「就活のために制作を頑張ろう」と息巻いていた時期も確かにあった。その思いが私を突き動かしていたのは間違いないのです。
2年間で作り続けていたものが無駄だったのではないか、そう思って悲しくなった時がありました。人と比べて作品数が少なく、クリエイター就活の性質上載せられる演習作品のジャンルも大きく制限される。上手い人に比べると技術力もまだ拙いほうで、あと2年でカバーできるのか。そもそもオリジナルの作品が(その時点では)少なすぎる。自分を責める期間が続きました。
でも。私は自分を裏切りたくない。負けたくない。私は前を見据えて学んできた。2年の間に技術も向上した、確実に。それは私の手元にある作品が証明してくれているはずです。元旦に恩師から頂いた言葉をふと思い出しました。私はこれからもあの言葉を支えに生きるのでしょう、きっと。

私は頑張りすぎている部分があるなと気づきました。後輩や友達に心配をかけたくないから、SNSで弱音を吐かない。吐けない。自分で大丈夫でないとわかっているのに友人の前では明るい口調を保って接する。「迷惑をかけない」という思いから自分で壁を作ってしまう。いい部分もありますがこのままではダメなのでしょうね。もう少し気楽に生きられるようになりたいです。「人に助けを求めること、人を頼ること、人と話すこと」はおそらく、「人に迷惑をかけることではない」。そう心から思えるように。

とりとめもない話ばかりになってしまいました。今日はこれで終わりにします。
次は明るい話をしたいです。楽しいこと、自分のためになることを見つめて生きていきたいです。