Live, as you like.

(アメーバブログより転載 原文ママ 03/07/2018)

【まえがき】

・今回の記事では、生物学上の性別(sex)を女、それ以外の気持ちの性別(gender)を女性、と表記します。

・英語では、sexual orientation, gender orientation などなど、自認性の定義がたくさんあるのですが、体の性別ではない方の性別を、暴力的ではありますがまとめてジェンダーと定義します。

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国際女性デーにあたり、アメリカ留学中大学2年生が思うこと。

アメリカに留学した大きな理由のうちの一つが、日本ではあまり発達していないジェンダー学、女性学について知りたい、というのがありました。そして自分が思っているより、日本は性についての認識に苦労していることがわかりました。そして、色々なものが私を縛っていたんだ、ということもわかりました。学びは武器です。あなたを守り、あなたの居場所を作ります。

今日は国際女性デーということで、女と女性という切り口から、日本のジェンダーについてこの7ヶ月間で私が思ったことをお話しします。

はっきり言って、日本という国は、私が知る限り、全ての女性と女にとってかなり生きづらい国です。

ありがたいことに、私がジェンダー学について興味があることを母が知り、日本でこんなドラマが始まったよ、なんて情報をくれます。とっても嬉しい。弟の夫、とかあとなんだっけ、ごめんやっぱり詳しくは知らないや。笑

他にも、昨年だか一昨年だかに、「彼らが本気で編むときは」という映画が公開されました。

テレビをつけると「女装家」という肩書きとともに女装をした男を見かけます。「おかま」という言葉の浸透率もとても高い。昨今は「ジェンダーレス男子」なんて存在も台頭してきました。それにバイの男性もテレビで見かけますよね。

腐女子やBLという言葉も普通の会話に飛び交います。

日本の一大カルチャーYouTubeに目を向けると、マルチと呼ばれるいわゆるユーチューバー、ゲーム実況者から、女装する男や、元女子をうたう「男子」などがたくさんいますね。

なんだか性の多様性が進んできている気がしますよね!実際進んでいるとは思います。LGBTという言葉もお茶の間に浸透してきました。同性パートナーの条例も作られました。

たしかに、日本も前に進んでいます。

だけど、人々に一番大きな影響を与えるカルチャーの面では明らかに男の性の多様性のほうが広く受け入れられているように感じます。

男装をする女性はテレビに出ていますか?

ジェンダーレス女子の名前が1人でも挙げられますか?(ジェンダーレスナントカって言葉自体好きじゃないけどね)

バイ/トランズの女性やレズビアンのタレントや芸人さんの名前が挙げられますか?

美容やかわいさ以外を売りにした女性ユーチューバーでたくさんのサブスクライバーを誇る人はいますか?

男女の格差が埋まらないとか言われていますが、日本の問題は、性の二分化が激しいということです。とくに、女性を女性という枠に収めたがりな国です。

これについてはこちらの記事で書きましたが、日本は、本当にこれは胸を張っていいますが日本は、女性を女性にさせる文化がたくさんあります。これは誰かが悪いわけではない。そしてわたしもそれを形作る文化が大好きです。

アメリカで7ヶ月過ごしてきて思ったことは、本当にベタなのですが、生きたいように生きればいいじゃん、ということです。

あなたがあなたのことをどう定義しようと、誰にもあなたを止める権利はありません。

世の中は男が、女か、それ以外かの3つに分けられるわけではありません。

そしてもしあなたが「わたしは女でいていいや」と思えるのだったら、たくさん自分が楽しいと思えることをしてください。

私は、女として生を受け、女性として育てられてきました。おままごともしてきたし、シルバニアファミリーでも遊びました。でも父とサンダーバードのプラモ作ったり、サッカーボールで遊んだりもしました。可愛いものは大好きだけど、ランドセルは緑でした。共学で女子と恋バナも楽しかったけど、できれば男子高校で好きなおっぱいのサイズについて語りたかったです。イケメンは大好きだけど、スカートを穿くのは嫌です。男とセックスしたいけど、お前は女だろ、と押し付けられるのはとても嫌です。足綺麗だねって言われるのは嬉しいけど、女の子の足舐めたいな、って思います。かわいいとこあんじゃん、といわれるのもいいけど、お前女だったっけ?笑 って言われるのはもっと好きです。

これが私のジェンダーです。もしかしたらこれを「性格」と捉える人もいるかもしれない。でもどこまでをアイデンティティーにするのか、それも含めて「ジェンダー」だと私は思っています。何をジェンダーにしてもいいんです。人それぞれです。

今でもたまに、「お前は女として生きろ」と言われた時に感じる微小な違和感は、違和感と呼んではいけないんじゃないかな、と思ってしまうことがあります。もっと大きな違和感を感じている人がいるはずだ、と。でも私の中にたしかに違和感は存在し、それが私を作っているのです。だから否定したり無視したくはない。

幸せになるためじゃない。より良い人生を送るためじゃない。今、嫌な思いを少しでも減らすために、表現することが大事なのではないでしょうか。

そして誰かに理解してもらおうなんて思ったらだめです。他人の気持ちなど到底わかりません。へえ、そういう風に考える人もいるんだ、面白いね!って言えばいいんです。世界は実際面白いから。

一人一つのジェンダー。

みんながためらうことなく、それを表現できる素敵な社会になればいいなと、どうしたらいいかなと思う日々です。

そして世の中には、女で生まれたからという理由だけで性暴力を受けたり、学校にいけなかったりする人がいる中で、十分に高等な学びを受け、自分のジェンダー観について公に発言でき、安心して生活できる社会にいることに感謝します。

Live, as you like. (ミュージカルシカゴより)

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