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ツイてなかった日(日記)

「ついてない日はとことん付いてない。」

そんなセリフを本で読んだことがある。
確か森絵都さんの『カラフル』だった。

先日このセリフをふと思い出すような、少しだけ悲しさがコンボを決めちゃった日があったので、日記のネタとして、昇華してみようと思います。


私は、昔から閉鎖的な空間が苦手で
満員電車で体調不良になることにおいては、
周りの人に比べて、かなりの高確率を叩き出している自信がある。

朝の通勤ラッシュの時間帯なんて、特にダメ。
だから、乗車前の準備は怠らない。


その日もペットボトルの飲み物を準備。

混雑の関係で立ったのは、ドアの前の混み合う位置だったけど、それでも
冷房の吹き出す真下を確保できて、それはいつも通りの朝のはずだった。


一つ計算違いがあったとすれば、同じ駅から一緒に乗ってきた、後ろに立っている長身スーツ男さんである。

なぜかこの人、全くもって自立をしよう
という気概を感じないのだ。
なんと、発車直後から電車の揺れに合わせて、まるで私を壁だと思っているかのように、全体重をこちらに預けてくる。


こういう人のこと、私は心の中で
「妖怪タンポポおばけ」と呼んでいる。

電車に合わせて揺られる様子を、風に揺られるタンポポに例えてみている。なんか可愛い呼び方したら多少許せるかな、と思っての名付け。

(こうしたちょっとしたマナー違反の人に出会った時、まず妖怪に置き換えて考えてみることにしているのですが、「妖怪のしわざなら仕方ないかも!」と2割ほど、気持ちがマシになる効果がある気がする、のでオススメです。)



でも、苦手な朝ラッシュの時間帯……
唐突な妖怪の出没に、「わ、朝から勘弁〜」とどうしても、うんざりはしてしまうもので。

どうにか状況を打破できないかと、少し様子見。

体にかかるその体重をやんわりと、怒られない程度に。でも、しっかりと批判の意味は込めて押し返してみる。

すると間髪入れずに後ろから、ぐん!!!と、
タックルのような勢いで体重が返ってきた。

…なるほど。
自分は良いのに、他人にやられるのは嫌な人ってどこにでもいるんだよね。
自分にはとびきり甘いタイプなんだと思う。

あとよく分かんないけど、すんごい短気。
こんな瞬間的に、着火する人初めてみたよ…
さすがに、びっくりしちゃった。

ただでさえこんな暑苦しいのに。
他人の体温を背中に感じるの、気持ち悪くならないのかな。

とか何とか、悪口と疑問を色々と思いながら、意図的にかけられた異常な重さに耐えようとしてみるけど、お姉さんくらいならば支えきれても、長身の男の人など、絶対に無理で。


そして私にかかる体重は、身長差の問題で
首から上に大部分が乗ってくる。
耐えきれない分は、前に屈むようにして次第に身体が倒れていく。

足元には、誰かの荷物が床置かれていて前に詰めることもできない。その結果、前方のドアに手を付くような体制となった。

後ろ見えないけど、多分こうなってた。


…もうどっからどう見たって、完全に詰んでいる。

側から見れば私は、前の人に壁ドンをしながら
マイケルジャクソンよろしく30度程の、ナナメ立ちを決めていた……。

あ〜……触らぬ妖怪に祟りなしだったかも?
と、今更になって後悔しても遅すぎた。

結局、その男が降りる駅まで、私はその体制をキープする羽目になってしまった。

蒸し暑い電車の中、1人で何の試練をしているのだろうか。あと前の人、巻き込んでごめん。



降りた頃には、私は見事に汗だく。
そこに、外気の熱風の追い討ちをかけられ、
視界がぐるんぐるんとまわっていく。

全然綺麗じゃないけど、世界が万華鏡のように見えて、その後視界が端から段々とグレーがかって暗くなっていった。

あ、これはやばい、、、
と思った時には、自分でしゃがみ込んでいて、
誰かが「大丈夫ですか」としきりに声をかけてくれていたのはわかったのだが、

顔も熱く、耳鳴りが凄かったので
優しさにはまともに答えられず、かろうじて首をゆるく左右に振ることしかできなかった。


大丈夫ですかに対して、大丈夫じゃないです…
と反応することは、ほとんどない気がする。

何だかまずい。ということはすぐに伝わったようで、その優しい誰かは駅員さんを呼びに行ってくれたみたいだった。

熱気で全部がボヤけてグルグルと回る視界の中で、「なにこの異次元空間、スペースマウンテンの中みたいだなぁ……」とかファンタジーで見当違いなことを考えていた。



キンキンに冷えた駅員救護室で休んだ後は、
会社に休みの連絡を入れて帰路についた。

歩くとまだ少しフワフワと眩暈がするので、
駅からは無理をせずにタクシーに乗って帰ることに決めた。
乗り込んですぐ、運転手さんに家の住所を伝えたのだが、ゆるりと首を傾げられてしまった。

「それ、どのあたり?」


ど、どのあたり???
どのあたりってなに??目印ってこと??

予想もしなかった返事に、口をポカンと開けてマヌケな顔を披露してしまう。


交通手段として、普段ほとんどタクシーなど乗らないため、全く思い至らなかった…が、

確かにドラマや映画だと、
「**駅まで!」とか、
「前の車を追って!」とか、
住所を伝える人なんて見たことがないような気がする

えぇと、、、と返事に詰まった私に、運転手さんは、首の角度をさらに深くした。


すぐに言い換えようとしたけれど、
自宅の周りに、特段目立った建物がないのだ。

コンビニエンスストアが、ぽつんとあるが、
そんなどこにでもある目印を伝えられても
尚更、運転手さんの首の角度が深くなるばかりだろう。


「えと、あの…まっすぐ走って、大通りに出てもらって……その…そこから右で…」
とモゴモゴとはっきりとしない説明で、家路を急に説明し出した私に、運転手さんは
「とりあえず出しますね」と一言。


うわーーーーん、ごめんなさい…

頭もグルグルするし、着くまで目閉じてようかな、なんて思っていたのに、
これは道案内しないとなのかな…
目印ないし、上手く説明できる気もしない…

なんで、そこにピコピコ付いてる立派なカーナビを入れてくれないんだろう……


急に気まずくなった車内で1人で
勝手にドンドン悲しい気持ちになりながら、

「そこ右です」とか「道なりで」とかたまに
口を挟んで伝えていく。


家まで着いた時、運転手さんは、
「ここなら、向こうの道のが早かったかも…」みたいなことをなんか言っていたけど、

私の視界はまたクルクルし出していたので、
そんなことを気にする暇もなくて、
ありがとうございました、の一言と
存外安かった500円を渡してタクシーを降りた。



タクシーって乗るの難しいんだなぁ。

乗り慣れてない人のために、どこかに説明書つけてほしかったな。
立派なカーナビ、壊れてたのかな。
あの運転手さんだけじゃなくて、これタクシーの常識なのかな。

もしかしてだけど、
消防車とか救急車呼ぶ時も、住所じゃなくて
目印を言うのかな。

住所って、逆に分かりづらいのかな…。


普段なら、「私が歩いた場所が道ですけど?」
くらいの勢いで生きている私も、回る世界の
中ではイマイチ調子が出なく気持ちも弱くなっていたようで。

誰にも聞けなかった、どこにも行く宛のない疑問が浮かんでは、何一つ解決出来ないまま、ボーッとした頭の中に弾けてそのまま消えていくみたいだった。




起きた時、時計の針は随分と進んでいた。
眩暈も治り、頭もスッキリしていて、
「今日は何かとツイてなかったなぁ」なんて
他人事みたいな感想を言えるくらいには
気持ちも復活していた。

肉体と精神って、割と直結しているのかもしれないな。たまに聞くよね、筋肉解決論。

確かに私がムキムキだったら、あのタンポポのタックルにも真顔で耐えられた気がするし、
住所を伝えるか目印を探すかであんなに悲しまなかった気もしてきた。

携帯を見たら心配の連絡が何件も来ていて、
優しさに心があったかくなると同時に、
駅で助けてくれた人にお礼言えなかったなぁと、その時に初めて気がついた。

生きていれば毎日が良いことばかりではないし、こうしたツイてないを重ねる日だってあるんだと思う。
でも、優しさを分けてもらえたことで、イマイチな今日も乗り切れた。

私も元気のある時は、誰かに優しさを渡せる自分でありたいなぁと思えた1日だった。


まだ外が明るい。
連絡を返したらもう少し寝ようかなと、
乾きでボヤけているコンタクトレンズを外しに
ベッドを降りた。

もうちっとも、悲しさは残ってなかった。

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