子どもたちは怒っていい

 わたしはしがない女子大生だ。そして学生ながらに新型コロナウイルス・正式名称「COVID-19」にふりまわされる社会に不安を感じている。ここではその社会のなかで、息を殺して「がまん」している子どもたちについて記していきたい。

 今回これをnoteに残そうと思ったのは、ついさっきインスタグラマーのしろやぎさんの投稿に、はげしく感情をゆさぶられたからだ。

 大騒ぎする大人たちの隣で子どもたちは何を考えているんだろう。
 仕方がない社会の動きを受け入れて何処に気持ちをぶつけたらいいんだろう。

 子どもたちは、大人をよく見ている。大人が思っているよりもずっと。
 だから突然休校になっても、卒業式が中止になっても、スポーツの大会が中止になっても、音楽の発表会が中止になっても、展覧会が中止になっても、受け入れてくれている。
 大人の決定に抵抗するすべのない子どもたちは、すべての「仕方なさ」を理解したうえで、受け入れてくれている。

 友だちと過ごす最後の1ヶ月を、特別な1ヶ月を、全てを出し切りたかったこの季節を、子どもたちは無抵抗のままに失われてしまう。果たしてわたしが「子どもたち」だったら、受け入れられるだろうか、と思う。おそらく悲しくて、悔しくて、怒りたくて…。でも、「仕方ない」のだと言い聞かせて、受け入れるしかないだろう。

 SNSをのぞくと、そういった子どもたちの行き場のない葛藤にたいして、「仕方ない」「感染を防ぐため」「合理的」だと、なんだかやけに高いところから、したり顔で説き伏せようとする大人の、なんと多いことか。
 子どもたちはみなわかっている。「仕方ない」のだと、「感染を防ぐため」だと、「合理的」だと、みんなわかっている。そんなことはわかっている。

 わかっているけど、悲しいし、悔しいし、怒りたい、そんな気持ちをSNSで叫んでいるのだ。

 わたしは「大人たち」にお願いしたい。
 本当はわたしたち大人に、子どもたちの思い出や経験を奪う権利など一切無い。子どもたちの安全と安心と健康を守る権利を行使するために、子どもたちに「がまんしてもらっている」にすぎない。

 だからこそ、悲しみ、悔しがり、怒る自由だけは、奪わないでほしい。
 子どもたちは怒っていい。わたしたち大人だって怒っていいのだから。せめてその自由だけは奪わないでほしい。感情のせきとめ方など、知らなくていい。

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