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学生生活6年振り返り

0.はじめに

おはようございます。くにみち(@ku2m1)です。京都での学生生活6年(大学4年、大学院2年)を振り返っていきます。

参照:学年と年月の対応
B1:2016.4〜2017.3
B2:2017.4〜2018.3
B3:2018.4〜2019.3
B4:2019.4〜2020.3
M1:2020.4〜2021.3
M2:2021.4〜2022.3

1.大学生活

大学の講義の試験は高校までとは異なり情報戦の一面があります。専門性が高まり、易しく丁寧なテキストは減り、試験は教員ごとの色が濃くなります。B1〜B3では同じ学科の友人たちと試験対策グループを組んで各々の強みを活かして助け合いました。過去問を仕入れてくる人、基礎となる概念や解法などを理解する人、それを応用して過去問を解く人。そしてアウトプットは想像以上に重要で、最後にもう1人友人を呼んで教えたりしてました。朝から図書館に並んで(何人かと話し合える)スペースを取ったり、試験対策を終えた後に雪の貴船神社に行ったりも、全てが楽しかったです。楽しめるって、何よりも最強の武器ですよね。お陰様でスムーズに単位取得出来ました。

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B4からは講義は減り、基本的に研究室生活となりました。B4の時は研究室によく話す友人もおり、とても頼りになる博士課程の先輩もいらっしゃって、時折ほかの専攻の先輩に悩みを聞いてもらったりしながら卒論を進めました。 M1からは感染症の流行で研究室にほぼ行くことがなくなり、友人も就職してしまいましたが、人間関係が増えたり旅行で息抜きしたりして、なんとか自分のペースで修論を書き進めることが出来ました。

京大特有の要素には特段興味があるわけではありませんでしたが、吉田寮や熊野寮には何回かお邪魔させて貰いました。寮生とカタンをやったり、あと熊野寮祭のエクストリーム帰寮はなかなか楽しかったです。詳しくはこの記事で。

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2.アルバイト

アルバイトはB1の秋からこの3月まで、個別指導塾で講師をしました。大学に受かった時点では、多少の能力の差はあれど、同じように指導され勉強に励めば同じ結果が得られると勘違いしていましたが、生徒ごとの理解度の差を痛感したのは衝撃でした。他にも子供に勉強を強制する親や家庭の問題を感じ、思想に大きな影響を受けました。そういった中で、問題に取り組む楽しさを伝え、ストレスを和らげようという授業をしようと意識したつもりです。長く指導してきた生徒から最後に色々とプレゼントを貰ったりしたのは嬉しかったです。

3.京都

京都という土地での生活では鴨川がとても身近でした。出町柳から四条大橋までの川岸は何度歩いたか分かりません。個人的にはデルタよりも散歩のイメージが残っています。大文字山で友人と話しながら夜を明かしたのも素晴らしい時間でした。

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観光的な面で行くと、雪が降った後の金閣は一度目にしておいて良かったです。早起きは必要とはいえ、気軽に行けるのは京都に住んでいる人の特権ですよね。あと、比叡ドライブウェイへ紅葉狩りに連れて行ってもらったのも。

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京都と言えば老舗の料理店もありますよね。すき焼き専門店の三嶋亭ではすき焼きの概念を塗り替えられました。四条大橋の中国料理店東華菜館や、南禅寺の参道にある湯豆腐もなかなか良かったです。

京大の近くのカフェコレクションはお気に入りで、B4以降、桂に移り住んだ後もたまに来ていました。普段はパウンドケーキとコーヒー、お昼時ならバターライスを頼むのですが、友人にオススメされた雑炊もキノコの旨味がよく出ていて美味しかったです。

そして、この記事のトップの画像にもなっている村屋は京都で一番通った居酒屋です。安く質の高く種類豊富なお酒を飲めたり美味しい料理を食べたり、そして何よりも落ち着ける場所でした。ここで友人経由で新しい友人が出来たりするなど、とても重要な要素でした。

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4.旅行

B1の頃から春と夏の長期休暇に中学からの友人グループで温泉を絡めた旅行に行くのが常でしたが、人に色々と連れて行ってもらったりする中で頻度が高まり、さらに感染症流行に伴う旅費の低下も加わって、長期休暇は旅行とアルバイトの講習で潰れることが常となりました。

友人宅があることやイベント開催も多いことから、最も訪れた都市は東京で、東海道線を18きっぷで移動するのは恒例でした。同時に静岡も中継地点としてよく立ち寄りました。札幌市の施策のおかげで宿泊費が実質マイナスになる期間があり札幌には二度お世話になりました。
特に好きになった都市は長崎で、伝統的な港町の風景であったり、規模感故の交通の性質であったりが魅力的です。老後住みたい街ランキング1位ですね。長崎の崇福寺はかっこいいですよ。

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一方であまり楽しむ機会がなかったかなという都市として広島があって、平和記念資料館を訪れたりはしましたが、またいずれしっかり観光したく思います。

温泉街は、たとえば草津温泉、別府温泉、城崎温泉のようなレジェンドクラスのものもウキウキしますし、嬉野温泉、宇奈月温泉、湯田中温泉のような程々に有名な観光地、そして花巻温泉や土肥温泉といったさらに落ち着いた地など、それぞれの良さがありました。
湯抱温泉中村旅館や、奥熊野温泉女神の湯など、個性強い温泉スポットもなかなか面白いのでオススメです。

近年の旅行助成制度としてはGo To トラベルが有名ですが、先述した札幌市の施策のような地方自治体の制度があったり、JRや私鉄が独自にお得な乗車券を販売するなど、この2年間は特に懐に優しい時期でした。海外旅行のハードルは高まりましたが、その代わりに日本国内を知る良い機会になりました。

5.貯金・決済・投資・投機

銀行口座は6つ作り、ゆうちょ銀行と楽天銀行を中心に使っていました。ゆうちょが給与振込で、楽天が貯金や決済用という感じでした。この2行間での振込が手数料無料で便利でしたが、今後は変わってくるらしく、証券口座を介する移動など考える必要がありそうです。最近ではデジタルバンク「みんなの銀行」が営業を開始し、旧来のネット銀行から更に進んだ新たな銀行口座の在り方が見られました。こういった流れもチェックしていきたいですね。

paypayに始まるQR決済ブームでは、還元キャンペーンで消費者としてはお得に買い物させていただきました。大手決済業者がバラマキを行った結果、弱小スタートアップが破れる悲劇もありましたが……。買い物のほとんどをスマホ決済で済ませることが多くなり、この数年は現金が実質村屋専用通貨になっていた印象です。

つみたてNISAをB4の夏頃から始め、米国株インデックスや先進国株インデックスを中心に単調に投資していきました。数年で思った以上に貯まっていますが、社会人になってしばらくしたら投入額を増やしていく所存です。

仮想通貨には2017年末のバブルの数ヶ月前から手を出しており、そこそこの金額を投入しておりましたが、今思えば正気ではありませんでしたね。旅行やらの資金源にはなったので結果オーライですけど。仮想通貨は宗教的な意味合いもあり、某友人と初めて会った時に宗教戦争(?)をしたのは良い思い出です。

6.趣味

この項以外で書いていることの多くも趣味とも言えますが、一般的に趣味らしいものをまとめておきます。

ご存知の方も多いでしょうが、女装はB1の頃からの長い趣味です。女装界隈的なものが好きではなかったり、コミケの中止や規模縮小などによりコスプレの機会が減っていることもあり、最近はわざわざ発信はしませんが、思想の根幹をなすものの一つです。

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料理は効率主義的なので、この1年はハヤシライスしか作らないなど、あまりこだわりはありませんでした。ただ、稀にお菓子作りにハマる時期があって、B1からB2ではパウンドケーキをよく作り、M1の終わりからは友人の影響でチーズケーキを作っていました。その方は本当に上手いのですが、私でも自己満足できるそこそこのクオリティのものが作れるので、これは今後も時間があったらやりたいと思います。

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家ではあまり飲みませんが、友人との交流においてはお酒を飲むことが多かったです。村屋では黒糖焼酎を好んで飲みます。京都のクラフトジンである季の美も好きです。とあるワイン好きの友人(チーズケーキの人でもある)のおかげで、良いワインを味わうことも多かったです。30歳くらいでどんとお金使ってみたいですね。

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お酒以外のコミュニケーションのお供としてはシーシャもよく活用しました。こちらも当然のごとく友人の影響。私自身は全くの非喫煙者なのですが、吸いやすくて香りをしっかり楽しめます。若者の喫煙者が減っている中ですし初めは気をつける必要がありますが、興味あるけど一人で行く勇気はない人を誘っていきたいです。

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ゲームはあまり接することがないのですが、デレステだけは5年半続きました。人生でこれだけハマったゲームはパズドラ以来です。最近ふと思い立ってやめてしまいましたが、登場キャラクターの1人である夢見りあむは以前SNS上で大きな話題を生み、今でも好きなキャラクターです。
この1年で何度かプレイする機会があったのはTRPGで、私自身はロールプレイというのが得意ではありませんが、友人の取り組み方を見るのが好きで楽しませてもらっています。
オンラインではなくオフラインのゲームとしては、リアル脱出ゲームに何度か異なるメンバーで遊びに行くことがありました。人数集めが大変だったりしますが、子供騙しではない適度に難しい謎解きが求められるのが楽しいです。

映画は日本のホラー映画をよく見て、好きになりました。一番好きなのは「仄暗い水の底から」で、都市に潜む恐怖や親子の在り方がよく描かれています。歴史を遡り現象の由来を突き詰めていくミステリ調の強い「残穢」や、社会風刺を絡め化物の捉え方に新鮮味がある「来る」もオススメです。

何よりも一番ハマったのはVTuber(見始めた時期はバーチャルYouTuberという名称が普通だったが、現在はこちらの呼称が一般的のためこちらで統一する)でした。ブームの火種となったねこます氏に始まり、Live2Dの使用や生放送文化を定着させたにじさんじ、VTuberの中でも歌に特化した蒼月エリ、鷹森ツヅル、エルセとさめのぽき、花譜、そしてASMR作品の大御所周防パトラなど数々のVTuberに触れてきましたが、私が最も注目しているのはご存知、名取さな。現在の在り方はまた変わって来ていると思いますが、どういった存在なのかこちらの記事を参照していただけると幸いです。

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7.コミュニティ

旧友など学校で直接知りあった友人とはLINEグループでのやりとりが主流でしたが、B3の頃からネットから出会うことが多くなりました。特にTwitterがそのキッカケを担い、より深くコミュニティとしての関わりにはdiscordをよく利用しました。
所属する(してきた)コミュニティとしては、B4からの「七夕会」(なお現在は中核人物の逮捕により消滅)、M1の初めに私が開設した「バーチャル左京区」、M1の終わりからの「アルデンテ」(長く異なる名称だったが現在のものを使用)があり、人間関係を拡げたり、純粋にゲームを楽しんだりする良い場でした。

8.おわりに

初めと終わりを比べれば、私という人間がまるっきり変わったような、それほど重要かつ濃密な6年間だったと感じます。大学以降の友人の皆さん、これからもどうぞよろしくお願いします。

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