いえなしやもり


 十一月のある夜。とても寒い夜でした。吐く息は白く、道行く人は皆、足早に自分の家に帰っていく。そんな寒い寒い十一月の夜、ヤモリはひとり、足を引きずりながら歩いていました。野良猫のボスに襲われたのです。命からがら逃げきることは出来たものの、襲われた時に負った傷からどくどくと止めどなく血が流れ続け、どうやらそれはもう止まらないようなのです。
ヤモリは倒れてしまいました。真っ暗な空にぽっかりと開いた穴のように、まんまるなお月様が輝いています。

 ああ、死ぬときもひとりなのだな。まんまるお月様を眺めながら、ヤモリはそう悟るのでした。ヤモリは、生まれた時からひとりぼっちでした。気付いたときにはお父さんもお母さんも、誰もいなかったのです。
 ヤモリはひとりで生きてきました。ずっとひとりだったから、それが普通だったのです。他のヤモリたちにはきょうだいや友達がいましたが、ヤモリにはいませんでした。いくら助け合ったり仲良くなったりしても、お腹が空いてしまったら、自分も相手も食べる対象になってしまうことをヤモリは知っていたのです。少しでも仲良くなってしまったら、友達を食べるときにきっと戸惑ってしまう。血を分けたきょうだいがお腹を空かせていたら、きっと自分の身体を食べさせてしまう。そういうことを想像すると、ヤモリはなんだかお腹がムズムズして落ち着かなくなるのです。
 だからヤモリは、ひとりで良かったと思っていたし、好んでひとりでいたのです。そして、死ぬときもひとりなのです。
 身体が冷えていくのを感じながら、ヤモリは目を瞑りました。目を瞑ると月の光も届かず、真っ暗で何も見えません。ヤモリには、こんな時に見るような走馬灯もないのです。

 ヤモリはふと思いました。自分が死んだら、一体誰が自分を食べるのだろう。今まで何度もいろんな生き物に襲われて、怪我をして、襲って、怪我をさせ、そうしてヤモリは生きてきました。自分が死んだら、きっと誰かが自分を食べるだろう。丸々と太っているわけではないけれど、細くてガリガリというわけではない。食べられないということもないだろう。一体、どこの誰が自分を食べるのか。自分を襲ってきたあの野良猫のボスだろうか。もし、誰にも気づかれなかったらどうなるのだろう。誰にも気づかれず、誰にも食べられず、死んでもなお、ひとりだったら。
 ヤモリはなんだかおかしくなってしまいました。ずっとひとりで生きてきたのに、何をいまさら死んだ後のことなんか気にしているのだろう。ずっとひとりだったし、ずっとひとりでいるだけ。そんなことわかりきっているはずなのに、かなしくってくるしい。ヤモリは、死を目前にして気付いたのです。自分はずっと、さみしかったのだと。ぼんやりした意識の中で、ヤモリは声に出して呟きました。

「ああ、さみしいなあ。ひとりはさみしいなあ」

 ヤモリの意識はどんどん遠のいていきます。こんなに寒い夜に、ひとりさみしく死んでしまうなんて。

『せめて最期にもう一度、あのまんまるお月様を眺めたいなあ』

 ヤモリがそう願うと、真っ暗闇の中に急にぽっかりと穴が開きました。もちろん、ヤモリには目を開ける気力など残っていません。瞼は閉じたままです。それなのに、ヤモリにははっきりと、まんまるな穴が見えたのです。
最初はびっくりしましたが、やがてヤモリは思いました。
『きっとこれは、最期に神様が願いを叶えてくれたに違いない。ああ、神様はいるのだなあ』
 ヤモリは、心の中でひっそりと神様にお礼をしました。

 いよいよ身体の痛みも寒さも感じなくなってきた頃、ぼんやりと穴を眺めていたヤモリは、妙なことに気が付きました。まんまるお月様のような穴の縁が、ゆらりゆらゆらと揺らめいているのです。
『あれは一体なんだろう?』
 ヤモリが疑問を抱いた一瞬あと、穴は急速に大きくなりはじめました。ゴゴゴゴゴゴゴ!ヤモリはだんだん怖くなってきました。目を瞑りたくても、もう瞑っているので瞑ることが出来ません。穴の縁の揺らめきは、いまや震えているといったほうがしっくりくるような動きをしています。ヤモリは、どうしたらいいのかわからず、ただ、大きくなっていく穴を見続けています。ズゴ!穴が一度大きく跳ねました。ズゴゴゴゴゴ!ズゴゴゴゴ!メリ!メリメリメリメリ!バキャバキャバキャバキャオロロロロロロロロロロロ!

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