見出し画像

しもやけかめのて


 いいかい、亀島には絶対に行っちゃあいけないよ。あそこに行くと「呼ばれる」んだよ。
 って、みんな言うでしょ。ばあちゃんもそう言われて育ったんだ。けどね、ばあちゃんは一度だけ亀島に行ったことがある。

 あれは、ばあちゃんがまだ十歳になったばかりの頃。ばあちゃんがちいちゃかった頃はね、この辺の人間はみんな貧乏だった。食べるものがなくてずっとお腹が空いてて、その辺に生えてる草食べたりしてたのよ。今みたいにお肉なんて食べられなかった。お芋やお豆ばっかり。お米だって滅多に食べられなかったのよ。あとはほらこの辺には海があるでしょう。昔はちょっと沖の方まで泳いで行ったら魚が泳いでたからね、そいつを銛で突いて獲ってきて食べてたんだよ。
 あの日はね、いつもみたいにみんなで魚を獲りに行ったの。同い年の一雄くんと芳子さんと、芳子さんのお兄さんの正太郎さんと四人で行ったのよね。真夏でね。じりじり暑くて、汗がだらだら止まらなかった。海に入って涼みながら食糧を獲ろうって心づもりだったのね。芳子さんは泳ぎが苦手だったんだけどね、浜辺で貝を獲るだけでもって言ってついてきたの。芳子さんと正太郎さんのおうちには身体の悪いおじいさんがいたし、芳子さんの下にはちいちゃい弟妹がたくさんいたから、二人とも少しでも食べられるものが欲しかったのね。家族を食わせてやりたかったのよ。

 海に着いたのはお昼後。朝、畑仕事を手伝ってからみんなで海に着いて。いやあ、ばあちゃんたちみんなびっくりしちゃった。亀島に一羽の鶴が降り立つのが見えたんだから。やあこれは目出度いってね。それを見て一雄くんがはしゃいじゃってねえ。もっと近くで見てみたいって聞かないのよ。
 それでこっそりね、正太郎さんが小さい船を持ってきてくれた。四人でうんしょうんしょって漕いでいってね。今思えば不思議なんだけど、あんなに厳しく大人たちから「亀島には行くな」「呼ばれるぞ」「帰って来れんようになる」って言われてたのに、誰もやめようって言わなかったのよ。もしかしたら、あの時、もう呼ばれてたのかもしれないね。

 亀島ってのはね、浜辺から見るとちょっと泳いだらすぐに見えるでしょう。でもねえ、船に乗って行くと思ったより遠いのよ。漕いでも漕いでも着かない。とは言っても、思ってるより遠いだけで、三十分も漕いだら着いちゃうんだけどね。三十分も船漕ぐともうへとへとでね。ばあちゃんも芳子さんも浜辺で「もう動けないよお」ってぐったりしてたんだけど、一雄くんがずっとはしゃいでてねえ。島中を探検するって言って聞かないから、正太郎さんが着いてくことにしたのよ。その間、ばあちゃんと芳子さんは浜辺でゆーったりしてた。
 いい島だなあと思ったよ。向こうの方にさっきまでいた浜辺が見えてねえ。いつもはあそこで生活してるんだなあって、不思議な気分になったよ。風も気持ちいいし、なんだかいつもより海もきらきらしてるような気がしてねえ。身体は疲れていたけど、気分はずっと、なんだろうね、興奮してたんだよ。
 木陰でちょっと休んでから、岩場の方に行ってみたらね、カメノテがびっしりくっついてた。あんたは食べたことないかね、カメノテって。見た目はごつごつしててね、亀のおててにそっくりなのよ。塩ゆでするとおいしいんだよ。お味噌汁に入れてもおいしいのね。そりゃあもうびっしり、たくさんあってねえ。これだけあったらきっと家族みんな喜ぶぞって思って、芳子さんと二人でざくざく獲った。塊でたくさん獲れたもんだから、海水につけてほぐしてたのよ。
そしたらね、おーいって手を振りながら一雄さんが走ってきた。亀島はちいちゃい島だったのね、ぐるっと一周してすぐに二人とも戻ってきたのよ。見た感じ、鶴はもういなかったって。残念だなあってばあちゃんは思った。ずいぶんきれいな鶴だったからね、近くでみたかったんだけど。
 でね、正太郎さんがね、ばあちゃんたちが着いた浜の裏っかわの方に大きな鳥居があったって言うのよ。みんな口揃えて絶対行くなって言う島だからね、まさかそんなものがあるなんて思わなかったのよ。正太郎さんが、勝手に入ってごめんなさいって言いに行こうって言い出したの。ばあちゃんもね、せっかく来たからには亀島探検したかったし、いいよーって言ったの。一雄さんはそんなことしなくていいって言って、一人でずんずん森の中に入って行っちゃってねえ。正太郎さんは止めたんだけど、仕方ないから、ばあちゃんと芳子さんと正太郎さんの三人で鳥居の方まで行ったの。あっという間に島の裏っかわまで着いちゃってねえ。こんなに小さな島なんだって、ばあちゃんびっくりしちゃった。
 けどね、その鳥居がずいぶん不気味だったのよ。鳥居って、石で出来てたり、朱色に塗られてたりするでしょう。でもね、亀島の鳥居は真っ黒なの。しかもね、鳥居の先は普通の神社みたいに石段があるわけじゃあない、森なのよ。人が通れるような道もない。変でしょう。ばあちゃん、なんだか怖くなっちゃってねえ。やっぱり行くのやめようって正太郎さんに言ったの。芳子さんも同じように感じてたんだろうね、やっぱり正太郎さんのこと止めたのよ。それでも、正太郎さんは行くって聞かない。元々ちょっと堅いっていうかね、しっかりした人だったのよ、正太郎さんって人は。とは言ってもその時は妙に頑固だった。何が何でもお参りするって言うの。芳子さんは正太郎さんがあんまり真剣なもんだから怖がって泣きそうになってた。
 ばあちゃんもなんだか怖くてねえ、逆らえないから一緒に行ったの。一礼して鳥居をくぐったら、急に肌寒くなった気がしてね。不気味だなあと思ったのよ。戻りたいなって思った。だけど正太郎さんが芳子さんの腕をぎゅうっとにぎったままどんどん進んで行っちゃうの。芳子さんが涙目でばあちゃんのこと見るもんだから、ばあちゃんも戻るわけにはいかないと思って、ついて行った。

ここから先は

2,782字

¥ 300

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?