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祇園牛頭天王御縁起

https://youtu.be/6r6Fvuo_vJ4         YouTubeへ投稿しました。
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『祇園牛頭天王御縁起』によれば、本地仏は東方浄瑠璃界の教主薬師如来であるが、かれは12の大願を発し、須弥山中腹にある「豊饒国」(日本のことか)の武撘天王の一人息子として垂迹し、すがたを現した。
太子は、7歳にして身長が7尺5寸あり、3尺の牛頭をもち、また、3尺の赤いもあった。太子は王位を継承して牛頭天王を名乗るが、后をむかえようとするものの、その姿かたちの怖ろしさのために近寄ろうとする人さえいない。牛頭天王はびたりの毎日を送るようになった。
3人の公卿が天王の気持ちを慰安しようと山野に狩りに連れ出すが、そのとき一羽のがあらわれた。山鳩は人間のことばを話すことができ、大海に住む沙掲羅龍王の娘のもとへ案内すると言う。牛頭天王はを娶りに出かける。
旅の途次、長者であるの巨旦将来に宿所を求めたが、慳貪な巨旦(巨端)はこれを断った。それに対し、貧乏蘇民将来は歓待して宿を貸し、飯をふるまった。蘇民の親切に感じ入った牛頭天王は、願いごとがすべてかなう牛玉を蘇民にさずけ、蘇民は富貴の人となった。
龍宮へ赴いた牛頭天王は、沙掲羅の三女の頗梨采女を娶り、8年をそこで過ごすあいだに七男一女の王子(八王子)をもうけた。豊饒国への帰路、牛頭天王は八万四千の眷属をさしむけ、巨旦への復讐を図った。巨旦は千人ものを集め、大般若経を七日七晩にわたって読誦させたが法師のひとりが居眠りしたために失敗し、巨旦の眷属五千余はことごとく蹴り殺されたという。この殺戮のなかで、牛頭天王は巨旦のだけを蘇民将来の娘であるために助命して、「の輪をつくって、赤の房を下げ、『蘇民将来之子孫なり』との護符を付ければ末代までも災難を逃れることができる」と除災の法を教示した。

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