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「卑弥呼」ファン集まれ!!(14)    全体ビュー1000突破!!Thank you very much!!

「卑弥呼」こんな分かりにくい話、開設8日で1000突破だよー!!        奇跡だねー!! みんなー 応援、本当にありがとうございますネーー。       前回は、①いつ(When)だったので、今回は、②どこで(Where)となるのですよねー。

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②どこで(Where) 「依山㠀為國邑 舊百餘國地山險多深林 道路如禽鹿徑」(土地は、山が険しくて深い林が多く、道路は鳥や鹿の道のようである。)「無良田食海物自活」(良田はなく海産物を食べて自活している。)   当時は、まだ正式な国の形態は出来上がっていなく、人の住んでいる所単位での区分けかなー。ある文献では、この人の集まりを「種」(くさ)と表現し、また「津」(つ)も集まりとしていることを見たことがある。

「多竹木叢林」(竹、木、草むら、林が多い。)「草木茂盛行不見前人」(草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えない。)「多竹木叢林」と書かれているように、山中は「麝や蛇、山蛭や山ダニ」等で危険がいっぱいで入れないので、古代人は、山の尾根を利用していたのですよねー。                               つい最近、雨乞い岩を見に行ったとき山の中で迷った。(迷ったときは、上を目指してあるく。)

写真は、迷った「日光寺山」の現況の一部。

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 東南陸行 五百里 到伊都國(ここは九州からの距離)。       南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月(南、邪馬壱国に至る。女王の都とする所。水行十日、陸行一月。)ここは対馬からの距離で表示?    すなわち伊都國は、出雲のこと。邪馬壹國は、出雲から一カ月(30日)すなわち、「邑日野」へ到着する。

 人間は、「先入観」すなわち、自分の見たいように見ている。「卑弥呼・邪馬台国」論争は、反対側から言うと「本当のこと」は誰にも分からないんだー。嘘にきまっている。と言う目で見ているのですよねー。

 そうなんですよねー。「卑弥呼・阿遅須伎高日子尼命神、臺興・天豊津媛命」説についても、本当かどうかは分かりません。           だって、その当時に生きていない。ですし見たこともないんだものー。         こんな違った視点が「ありますよー。」ってことの表現かなー。

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 この事実に基づいて、「天照大御神」神話が創造されていますよー。という視点からの話なんですよねー。今日は日曜日だからの大サービスかなー。

鷺池平九郎(さぎのいけへいくろう)
  『和漢百物語』名前こそ仰々しいが、鷺池平九郎は河内国の普通の農夫である。しかしながら楠木正行に仕えた武将として『楠木正行戦功図会』に大々的に書かれたことから、一躍武者絵で描かれる人物となった。
    実在した人物ではないようだが、巨大イノシシ退治や、うわばみ退治など、いくつも武勇伝があり、絵にもされている。

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    さて、この芳年の絵はうわばみとの対決のもの。
解説文には、「釣りをしていた平九郎を、丸呑みにしようとするうわばみの姿が水面に映った。しかし平九郎はビビることなく、うわばみに鉄拳をかまえ、さらに両顎を左右に引いて引き裂いた」とある。
『和漢百物語』より「鷺池平九郎」                                                                         ただ、絵を見る限りでは、左下に映るうわばみが「上にいる姿が映ったもの」なのか、それとも「引き裂かれて捨てられた後の姿が水中に見えている」のか、ハッキリとわからない。
    平九郎は上を見ていることから、やっぱり上にうわばみがいて、それが写っている気もするし、平九郎は退治後に見栄を切っている、とも考えられる。
    こういう風に絵について深く考え、絵解きをしようとするのも面白くってよろしい。暑い夏も、浮世絵見ながらウキウキ過ごそうぜ!


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