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21「邪馬台国」to「柳田國男翁」!!


Notion「卑弥呼と邪馬台国」参照。
(1)  卑弥呼と邪馬台国  (notion.so)

「卑弥呼」ファン集まれ集まれ!!で、最初このブログを立ち上げましたよねー。最初私の著している「北野と妙徳寺」の歴史新考。あかぬことはあかぬものです。地域の歴史研究は、私が2000年から始めたもので、有馬法師への到達までに10年、藤三位・安喜門院大弐で10年、結果の「卑弥呼」。となったのですよねー。 ( 写真 柳田國男翁の生家 )

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    柳田國男翁は、「邑日野」で生まれたことになるのですよねー。「田原小学校での講演記録」からはいりましょうかねー。                 いや、それより私がもっとすごいことと感じていることは、「コキリコ節」ですよねー。私の記憶では、彼(柳田國男翁)が、昔、五箇山村の訪問時に「コキリコ節」を聞き、これを東京に帰り西条八十氏に採譜をお願いして存続させた。後日、衆議院書記官長か貴族院書記官長のときに、昭和天皇の幼少時「皇太子の夏季学習」として、五箇山村の「コキリコ節」の学習に尽力した。(「コキリコ節」が、いくら良いからと言っても、忘却寸前の「コキリコ節」。皇太子の夏季学習(伝統文化の修復)が、なければどうにもならなかったのですよねー。

 彼が当時この「コキリコ節」が、現在のような「伝統文化の中心」になろうとは予想だにしていなかったでしょうねー。「世界遺産❓❓」                 私の行動哲学、「まず実践・後から言う。」

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筑子(こきりこ)                         一、筑子の竹は七寸五分じゃ 長いは袖のカナカイじゃ
一、踊りたか踊れ泣く子をいくせ ササラは窓の許にある
一、向の山を担(かず)ことすれば 荷縄が切れてかづかれん
一、向の山に啼く鵯(ひよどり)は 啼いては下がり啼いては上がり
  朝草刈りの目をばさます 朝草刈りの目をさます
一、月見て歌ふ放下(ほうか)のコキリコ 竹の夜声の澄みわたる
一、万(よろず)のササイ放下(ほうげ)すれば月は照るなり霊(たま)祭
一、波の屋島を遁れ来て 薪樵るてふ深(み)山辺に
  烏帽子狩衣脱ぎ葉てて 今は越路の杣刀
一、娘十七八大唐の藁じゃ 打たねど腰がしなやかな
一、想いと恋と笹舟にのせりゃ 想いは沈む恋は浮く
一、イロハの文字に心が解けて 此身をせこに任せつれ
一、かぞいろ知らで一人の処女(なじょ)が いつしかなして岩田帯
一、向いの山に光るもんにゃ何んぢゃ 星か蛍か黄金の虫か
  今来る嫁の松明(たいまつ)ならば さしあげてもやしゃれやさ男
一、漆千杯朱千杯黄金(きん)の鶏一番(つがい)
  朝日かがやき夕日さす三つ葉うつ木の樹の下に
一、色は匂へど散りぬるを 我世誰ぞ常ならむ
  憂ゐの奥山今日越えて 浅き夢みし酔ひもせず
  マドのサンサは デデレコデン
  ハレのサンサも デデレコデン

この「こきりこ節」    Wiki pediiaでも、前記の柳田國男翁の件は、掲載されずに終わりかけているのですよねー。

 もう一点、柳田國男翁関連の、すごい伝統文化を紹介しましょう。     それは岩手県の遠野の話です。先生の民俗学の話は、遠野から始まったと聞いています。そこでの私が、素晴らしいと感じる伝統文化は「おかめ四方舞」ですよねー。

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この「おかめ四方舞」は、                       ハーッーここは何処、ここは高天原なるぞ               集まり賜えや、よも世の神々へー、                    っとの篠笛・太鼓に合わせた口上が気に入りましたよネー。

 私は、「伝統文化の維持・継承」を通じた、地域の人々の交流が「人間の成長に大きく貢献してる。」と考えているのですがいかがでしょうかねー。

おかめ(お亀、阿亀)                                                                                              おかめ(お亀、阿亀)は鼻が低く頬が丸く張り出した女性の顔、あるいはその仮面。頬の張り出した形が瓶に似ているから名付けられたとされる。おたふく(お多福)ともいう。
    面は里神楽などで道化役の女性として使われることもあり男性の面であるひょっとこと対に用いられることも多い。
    またお多福ともいうように福が多いということから縁起がよいとされ浅草などの酉の市の熊手の飾りなどに使われるようになった。
 本来古代においては太った福々しい体躯の不美人は災厄の魔よけになると信じられ、ある種の「美人」を意味したとされる。だが上記縁起物での「売れ残り」の意味、あるいは時代とともにかわる美意識の変化とともに不美人をさす蔑称としても使われるようになった。
 おかめさんが豆で鬼を追い払うのではなく諭して追い払うとこです。
 鬼を諭して小槌を手にするおかめ、千本釈迦堂とも呼ばれる。この場所は、応仁の乱西軍の中心地であったが、山名宗全の計らいにより災難を免れた。本堂は、京都市内最古の建造物で、堂内の柱には刀槍の傷が残されている。
 夫の名誉を守るため命をたったおかめ伝説の地で、京都市内には今でもおかめの面の上棟御幣でお亀の徳により家宅の火除け、家内安全と繁栄を願う風習があります。境内には、おかめ塚やその名にちなんだ阿亀桜(おかめざくら)がある。2月2日・3日には、おかめが鬼を諭し改心させる有名なおかめ節分会が行われます。

粽(ちまき)
 その由来は、昔々八坂神社の御祭神スサノヲノミコトが宿を探していました。裕福な弟巨旦将来(こたんしょうらい)は断り、貧乏な兄蘇民将来(そみんしょうらい)は快くもてなしたそうです。以来、蘇民将来の子孫には疫病を免じると約束されました。子孫の目印として茅の輪を付けたのが転じて粽(ちまき)を玄関などに飾るようになりました。

早苗饗(さなぶり)                                                                                                      早苗饗とは、田植え初めに田の神を迎える行事「早降(さおり)」に対するもので、田植えが終わって田の神を送る行事、または、そのときに行う飲食の行事のことをいいます。 田の神には、きれいに洗った早苗三把と神酒、五目飯や朴葉寿司・粽(ちまき)などを供えて祭り、田植えが終了したことを感謝します。

おかめの四方の舞                 遠野市立博物館より提供
1 あら面白や ここはどこ
  ここは高天原なれや
  集まり 給えや 四方の神々
2 あら面白や 天竺の
  七曜(しちよ)の星は曇れども
  オカメの心 曇りあらざるや
3 あら面白や 荒神の
  お前の姫をば幾重にも
  七重(ななえ)も八重も飾り舞遊ぶ
4 あら面白や 鬼国より
  吹きくる風は 悪魔風
  中より返せや 伊勢の神々へ
太夫 「オカメ オカメ」
オカメ「オカメ オカメと呼ぶは どなた様」
太夫 「柴田内記で御座る」
オカメ「オカメは今 ややを寝せつけ 化粧におよんでおります」
太夫 「そんなら 神上げ」


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