HIMIとライブ配信

私は20代の頃、
6年間ゴスペルシンガーをしていました。

ゴスペルシンガーといっても
仕事は月に4~6回のステージ。

事務所からのお給料はありませんでした。

事務所の言い分は、
お前たちの稼ぎが悪いから、
それが実力とのことでした。


夢を叶えるために行った
東京での生活はバイトを掛け持ちし、
レッスンに明け暮れる日々でした。

レッスン代は月に8万円。
仕事?のための交通費は月2万円。
衣装代は自腹。
バイト代だけではお金が足りず
水道やガス、電気、携帯電話が止まるのは
当たり前の生活をしていました。
(騙されていたんじゃないの?
って思っても言わないでね🤫笑)

家族からは歌で食べれるはずがない、
まともな仕事に就いて安心させてほしい、
そう言われていました。

それでも諦められなかったのは
双子の姉の
「HIMIはずっと歌い続けてね」
「ステージで輝いているHIMIが好き」
「私に何があっても東京から帰ってきたらあかんで」という言葉があったからです。


でも私は26歳の時に地元兵庫に戻りました。
3年間闘病していた姉の危篤の連絡を受けたからです。

そんな状況で歌はうたえませんでした。

姉の命を優先しました。

危篤だった姉はなんとか持ち直してはくれましたが、
そこからはいわゆる植物状態でした。


そして、姉のために何ができるか、
なんて身勝手な人生を送っていたんやろうと猛省し、
家族や周りの方に恩返しするべく、
看護学校に入りました。


無事に国家試験も終えて、
看護師になったものの、
その4ヶ月後には姉は天国へ旅立ちました。

人生のどん底でした。


外来看護師として働きながら、
やっと気持ちの整理がついてきた頃に
出逢ったのがライブ配信【Pococha】でした。

落ち込んでいた私を見ていた友人が、

「せっかく歌もうたえるし、
夜勤もないなら趣味で配信してみたら?」
と誘ってくれたのがきっかけです。


「なにそれ!めちゃくちゃ怪しいアプリやん」
と何度も断っていましたが、
コロナ禍の独身女は仕事以外の時間
とても暇だったので、
言われるがままに配信をはじめてみました。

姉から名前を一文字いただき
【HIMI】という名前で活動を始めました。

当時ランクやメーターなんか全然興味がなくて、
来てくれる人で気が合う仲間と
わちゃわちゃ喋ったり歌ったりしているのが好きで
どんどんのめり込んでいきました。

特に歌を褒められると嬉しかった!


そして、
シンガーをしていた頃の自分を取り戻しつつ、
サービス精神に火がつき、
面白いことをしてみんなが笑ってくれることが
何より嬉しかった。


笑えることは素晴らしいことです。

ただ反対に面白いことをすると
一部の人に馬鹿にされている感覚もありました。
一部の人に馬鹿にされたって、
心から笑ってくれる人がいるなら
私は面白いことも続けていく
そう決めました。

配信を続けていくうちに、
看護師からライバーへ転換していったり、
活動を応援してくださるリスナーさんたちが
どんどん上のランクへ連れていってくださいました。

ただS帯に上がっても
自分のやっていることにまだ自信が持てないでいました。


私のモットーは「みんなが楽しく」なので、
楽しいと思って投げるなら良いけど
メーターのために馬車投げないで💦
とトップリスナーさんに言ってしまったこともあります。


今思えば凄く失礼だった😅

ごめんなさい🙇‍♀️


S帯を1年以上キープさせていただいていること、
アイテムをいただけることが当たり前ではないこと、
楽しい枠にするために一緒に協力してくださる
みなさまに感謝して、
これからも活動していきたいと思います。

本当にありがとう。


34歳になった今、
やっと姉との約束を果たせている気がします。

歌では食べていけない、そんな私の中の常識を覆してくださったみなさまに感謝です。

絶対に忘れちゃいけないこと。

そして、
みなさまからたくさんの愛と応援をもらったように
私も誰かの役に立ちたい、元気づけたいという気持ち
です。
ライブ配信で1人でも多くの方にエールを送れますように🙏🏻✨

頑固で泣き虫で、
よく変わってるって言われますが、
これからもどうぞよろしくお願いします。


ライブ配信で歌を楽しんで、癒されて、一緒に笑って
ここがみんなの唯一無二の空間にしていきたいです。
みんなが笑えば、みんなの周りの方も笑えるから。


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