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力を抜くぐらいがちょうどいいと気づいた話

映画の素人が、映画プロデューサーになっちゃって、
その映画により30媒体ぐらいのメディアに掲載されたという経緯を経て、
現在はPRプロデューサーとして活動しています、三間瞳(みまひとみ)です。

すみません、冒頭の自己紹介が長くて( ´∀`)

ここのところ、ブログというものから離れていたのですが、
思うところあって、せっかく2024年が本格的に始まるという
2月4日の立春の日なので、ゆるりと100日間連続で、noteを更新してみる、というチャレンジをしようかと思って書き始めてみました。

最近、とってもナチュラルに、いい感じで肩の力が抜けつつ、
でも実は結構、働いているんじゃない?動けているんじゃない?って
自己評価が出てきたので、それについて書いてみようかなと。

こんな方は、参考になるかもしれません。

・肩の力を抜けとよく言われる
・頑張り屋さんだと自他共に認めている
・頑張りすぎてへばることがよくある
・ガッと動いたら急に動けなくなることがある
・長女気質で無自覚のうちに頑張りすぎる
・なんでそんなに動き続けられるのか理解できないという人がいる

力の抜き方がわからなかった20代と30代

経験値が高い年配の方々、と一緒に仕事していたから、とにかくがむしゃらに生きることしか、取り柄がないと思っていたのかもしれないな。

「わからない」「経験が浅い」なりに
人の倍は動く必要がある気がしていたのかもしれない。

気力体力だけで突っ走っていたとも言えるが、振り返っても、いらぬ所にエネルギーを使いすぎて、身体も心も必要以上に疲弊したのではないかと思う。どういうことにエネルギーを使っていたかというと、、、

コントロールできないことにまでなんとかしようとしすぎていた
例えば、相手にちゃんと真意が届くように伝える、というこちら側の努力はあれど、それを相手がどう処理して、どう反応するかまでは、こちら側ではコントロールできない。けど、こういうことを悶々としていたなぁ、と思うのだ。コントールできないもの、他には天気、とかね。

全部を一度になんとかしようとしすぎていた
やっておかなキャ!今の時間しかない!という焦りがあるまま、「こなす」ようにやっていた。結果的に、心がせわしなくなって、心がこもっていないためにミスをしたりして、かえって時間がかかったり、焦りのエネルギーが別な問題を引き起こして、やり直しが発生したりしていた。

誰かを頼ろうとする発想がなかった
今だと、「これきっと、〇〇ちゃんが得意そうだな〜」「お願いしてみようかな〜?」という発想があるんだけれども、そういうのがなかったな、と。
「自分で頑張ることこそ、自分が成長する」「これは修行だ」と思っていたなぁ〜。これ、本当に自分を苦しめる。適材適所だし、人は一人では何もなし得ないのだから、同じ方向性を向いている人や、日頃から何かご一緒したいな〜と思う人とはゆるく繋がっておくと、互いに依頼され合うことが嬉しい、ということが起こる。もちろん、頼んでみたけどダメだったということはあるし、相手の事情、それはコントロールできないことだからね。コントロールできないことにまで気を揉むということがあるからこそ、誰かを頼ろうとできなくなるのよね。

直感的に嫌だな、と思ったことを「断る」という発想がなかった
仕事全体としては悪くなくても「自分が引き受けるべき範囲について」「これは線引きが必要」ということがある場合がある。それは自分の得意分野や苦手でも克服したい分野だったとしても、いきなり全てはキャパ的にも能力的にも難しいと感じたりしたときに、「それでも我慢してでもやり遂げるべき」という感覚の方が大きかったな、と思うのだ。最近は、瞬時に「これは断る案件」というのがわかってきて、「我慢してまで引き受ける」をしなくなったことは、成長したな、と思うのだ。

あれもこれもやらなくちゃ!大変!やばい!という思想に囚われていた
大きなプロジェクトがあると、タスクが山積みで、そのタスクを見ているだけで吐きそう、、みたいな感覚があって、タスクを考えては「やばい」となっていたんだけども、あれ、不健全だねw
「1つ1つやっていけば、必ず終わる」という思考の方が強いので、今は、「大変!やばい!」という気持ちは全くないとは言わないけれども、「やり続けていれば、ちゃんと辿り着く」という気持ちが前面にあるので、やばい!という気持ちに支配されることがなくなったな、と。

力を抜くのがちょうどいいわけ

というわけで、上に書いたものを反転させれば、
「肩の力が抜けた働き方」になるのかな、と。

コントロールできないことに気を揉まない。手放す。
自分の頑張る領域はここ。と決める。
それでコントール不可の領域での反応がどうであれ、それまでの頑張りが足りないことにはならない。その後にどうするかの選択肢まで考えておけば、想定内ということで、次の行動に移すことができる。

全部を一度にやろうとしない。
タスク全部を一気に片付けようとすると、心が疲弊するなら、楽しくできる、自分の心がワクワクしたままできる仕事の単位や範囲ずつでやっていく。判断軸は「心がふわっと軽く温かい状態であるかどうか」

誰かを頼ってみる
この前提となるのが、日頃から「自分ができることは出し惜しみなく貢献する」という生き方が大切なわけだが、私の場合は、「人繋ぎ」とかが息吸って吐くようにできる、全く苦ではないことなので、そういうのをしているということと、「この方はどんなことが息を吸って吐くようにできることなのかな?」という視点でお会いした時に考えつつ、ゆるく繋がっていると、「ああ!!あの方に連絡してみよう!頼ってみよう!」という発想に繋がるなぁ、と思ったりしております。

直感的に嫌だと思うものは、思い切って断ってみる
NOを言う、と言うのが課題な人は、日本人に多いと思うの。私もそうだったけれども。きっと

あれもこれも楽しくやろう、と思う
あれもこれもやらなきゃ!大変!やばい!というよりは、あれもこれも楽しくやろう♪  が一番。1日の終わりで頭が回らないとか、眠い時、深夜にまで棍詰めてやる必要はなくて。楽しくできない時、心が疲弊している時は、思い切って手放して心身ともに回復してから、「楽しい」と心が軽くなっている時にやった方が結果的に、物事がスムーズに進むと思うのです。

と言うわけで、初日のブログでした♪
(ゆるっと続けます^ - ^)


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