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誰もが情熱を解き放つ社会を創る〜プロフィールにかえて〜

こんにちは。
三間瞳(みまひとみ)です。

わたしは、BP&Co株式会社(旧Cross the World株式会社)という、小さな会社を経営しています。経営しているというには、まだまだ、おこがましいですけれども。

また、会社案内に追いつかないほどに動きがありまして、2020年のコロナ自粛期間中に開始したZOOM/LIVEで、サクッとお悩み解決《みま斬り企画》がサービス化され、

《チャンスを掴める自分になる!i-Ready Academy》を開講したり、

同《みま斬り企画》の中でも、特に好評だった《仕事力11+αシリーズ》が6/22から【みま斬り交渉力実践道場】と進化しサービス化したり、

他にも映画プロジェクトなど、[誰もが情熱を解き放つ社会を創る]を理念に、数々のアイディアを事業化しています。

この記事では私が何者かを語りながらも、
・自分の人生をよりよくしたい!
・新しい時代が始まる中、どう生きていったらいいだろうか。
・日本だけでなく世界で活躍したい!

と思う方は、ヒントになるかと思いますので、ぜひお読みいただけたら嬉しいです。

変わったキャリア


私は、いわゆる「ITベンチャー」と呼ばれる、
企業の法務部門でキャリアを積んだあと、
なんのツテもアイディアもないまま、独立しました。

どうして起業したんですか・・・?

とよく質問されますが、
仕事が嫌いだったわけでもないですし、

「自分の生き方を追及したかったから」

というのが一番の答えです。

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遡ると、私は、
日本の教育システムや就職システムにとても疑問がありました。

私は青森市出身ですが、
日本の多くの家庭がそうであるように、

「勉強して、いい大学に入れ」と育てられました。

一浪して猛勉強して、一橋大学に入ると、
とても字頭のいい人たちが、
考える機会もなく、ただ、当たり前のように就職活動をして、何の疑問も持たずに、会社に就職していく。

黒装束で皆と同じ格好、就職本を買って面接対策をする。杓子定規な定例行事としてこなしていく。

私にはこれが違和感でしかなかった。

別に就職が悪いとは言いません。
それできちんと自分の才能を発揮して、
世の中の役に立っていて、
本当に納得できる人生を送っているのなら、良いと思います。

でも、果たしてそうなのでしょうか。

就職活動中の情報だけでは、
会社がどんなところか、自分がどんな仕事をやることになるのか、
実際に会社に入ってみないと実情はほとんどわかりません。

なのに、大学3年生後半になって、半年から1年そこらで、その後の人生の大半を決めてしまう。

自分が本来、どんなことに向いていて
どんなことに生きがいを感じて
どんなことを「使命」とするのか、わからないのに、です。

同期を見渡してみても、
本当に、一人一人が、
「納得できる最高の人生」を送っているとは思えなかった。

せっかく五体満足で生まれ
何不自由なく、何にでも挑戦できる健康さがあり
それに加えて、一流大学に入れる頭の良さを持った人たちが、
会社員として会社に使い倒される。

不満を持ちながらも愚痴を言い合いながら
それでも生きていくために、その環境にいる。

これだけの頭脳が、
社会全体として有効に使われていない。

なんだか、とてつもなく資源が「勿体ない」
ずっとそう感じてきました。

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「勿体ない」が口癖


気が付いてみれば、私は、いつしか、
「勿体ない」が口癖だったように思います。

言葉にしていたかは別として、
心の中で思っているキーワードは、「勿体ない」。

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この人、勿体ないな。
せっかく素敵な魅力を持っているのに、殺しちゃっているな。

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ああ、このカフェ、勿体ないな。
せっかく美味しい珈琲があるのに、
導線がイケてないのが良さを殺しちゃっているな

こんな感じです。

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思えば、
「素材を活かしきれていないよね」
っていうことに異常に反応していました。

その原点がなんなのか、自分でもわからないまま、
大学を休学してNYへ留学した際に、衝撃的な体験をします。

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青森という田舎町での「出る杭は打たれる」風潮から
東京での
「字頭のいい秀才たちが、世間のレールに乗って生きている」という

何か一人一人が、ベールで包まれて
本領を発揮していない感じの世界から一変.

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言うなれば、
一人一人が、裸一貫で、むき出し状態で勝負している街。

この街で勝負してやる!
実力を試してやる!

という、
気迫と覚悟を持って来る人たちのエネルギーで溢れるこの街は

街にいるだけで、

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お前は何しに来た?
お前は何者なんだ?

と、問われているよう。

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それまでの自分を全て壊されて再構築するような体験。

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そこでさらに一番に強烈な想いが湧き出ます。

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日本人は勿体ない

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日本人は、英語ができない人が多い。
ディベートやプレゼンの訓練もないから、
世界中から集まる語学学校でも、
自分の意見を伝え慣れていない。

もっと言えば、日本語ですら、
意見をアウトプットする訓練をされていない。

英語ができない以前に、自分を表現することが苦手

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そうすると、
「日本人は何を考えているかわからない」
「発言しないなんて、存在しないも同然」
と、思われます。

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それが、
とても悔しかったんだと思います。

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だって、確かに、各国から来た
英語が堪能なポルトガル人、メキシコ人、
イタリア人、ポーランド人、ドイツ人、ブラジル人、
ウクライナ人、スペイン人。。。

主張することはとても上手だけれども、
誰もその意見をまとめようとしないんだもの!

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こんな出来事がありました。

私たちはNYブロンクスの語学学校にいて、
タイムズスクエアなどNYの中心地(マンハッタン)からは離れていたので、
イタリア人のノリのいい女性が、

「今日はマンハッタンに行くわよ!」

と、学校の仲間の大勢を引き連れてマンハッタンに着いたはいいわ、
それぞれが行きたい場所がバラバラ。

博物館に行きたい!
映画をみたい!
ブロードウェイに行く!
シュラスコ(ブラジル料理)が食べたい!

NYマンハッタンのど真ん中で、
10人以上が、侃侃諤諤、どこに行くのか立ち往生w

言い出しっぺのイタリア人女性は、
まとめる気ゼロw

仕方がないので、
一人一人の意見を聞き、
博物館→ブロードウェイ→シュラスコ

というその日のルートと、
どうしても違うところに行きたい人は、
シュラスコのブラジルレストランで合流でどうだ?

ということを提案して、その場を収めました笑

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こういうことが、日常茶飯事。

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誰か、まとめてくれよー!!!
って思いながら、その役割を担っていたのは、
あまり英語ができないはずの日本人でした。

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何を言いたいかというと、
日本人は、あらゆる意見を調合し、統合し、
和を作り出す能力がある、
ということ。

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この能力は絶対にピカイチなのに、
どうも、日本人は、世界で誤解されていて下に見られている。

それは、日本人全体が、
罪悪感を持たされて生きているからだ、と
気づいたのは、もっと後のこと。

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日本人は、世界でもっと活躍できる。
日本人の精神性(和を尊ぶ)が
世界で必要とされる時が絶対に来る。

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その想いは、世界と仕事していく中で
ますます強固なものになりました。

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その最初の想いが強く刻まれる衝撃的な体験がNYでした。

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「勿体ない」の原点


NYでは、もう一つ、
私の人生を大きく変える出来事が起きました。

それは、図らずも、
私の「勿体ない」口癖の原点の発見でした。

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2005年4月から訪れていたNY。
所詮、私たちは、限定的なNY住まい。
友達が出来ては別れが来て、
母国に帰る仲間を見送ることが続いたある日。

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10月に入って異変が起きました。

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悲しさを抑えられない。
寂しさに耐えられない。

涙が突然出てくる。

そして、止まらない。

辛すぎて死にたくなる。

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あれ?と思った私は、
必死で、現地で日本語で
カウンセリングを受けられる場所を探します。

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とても優しく包容力のある
NY在住の日本人女性のカウンセラーさんの前で

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なぜこんなに辛いのかがわからないんです。

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と嗚咽していました。

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私は、パニック障害でした。

睡眠障害もありましたが、
睡眠不足はさらなる精神不安定を引き起こすので、
とにかく眠ることが最優先となりました。

世の中に存在しうる最強の睡眠薬を処方され、
それを飲んで4時間寝る。

4時間後にぱちっと目がさめるので、
その時にもう一錠を服用し合計8時間の睡眠。

そして、週1回、1時間のカウンセリング。

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そんな生活が3ヶ月ほど続きました。

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カウンセリングでは
私が過去にあった体験を癒すセッションをして、

少しずつ、自分の感情を解放していきました。

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罪悪感と寂寥感。

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そのセッションで気づいたことは、
私は、この感情に縛られていたということ。

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私の妹は、10歳の頃に、
統合失調症を発症しています。

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当時、私は15歳。

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天真爛漫だった妹が、突然ロボットのように
魂が抜けた抜け殻のように、無表情になってしまった。

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あの瞬間に、私は
大切な体の一部を失くしたような寂寥感と
彼女を守れなかったのは
自分のせいであるかのような罪悪感
を、抱えて生きていたのでした。

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その時の体験を消化しないまま、
平気なふりをして、蓋をしてずっと生きてきていた。

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その押さえつけられた感情が、NYという
全てをさらけだして生きる街のなかで

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ようやく日の目を見たのでした。

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それまでを浄化するように、
一生分、いや、何世代分の涙を流したか
というぐらい、泣いて泣いて泣きまくりました。

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私って、こんなに悲しかったんだ
と。

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もっというと、
あんなに、
いるだけでその場を太陽のように照らすことができたあの子(妹)を

最大限に活かしてあげられなかった。

あんなに才能があったのに、
それを引き出してあげられなかった.

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という悔しさが、
私の「勿体ない」というセンサーの原点だった、と気づきました。

(なお、この時の体験は、NY体験記というマガジンでまとめています。後半は有料ですが、ご興味ありましたら、ぜひお読みください。)


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妹がくれたGIFT(贈物)

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彼女にもあったであろう社会的役割は、
私に託されているような気がしました。

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私がすべきことは、このGIFTを活かすこと。
私の役割の一つは、

日本人は勿体ない 

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という想いに忠実に、

日本人が自信をつけ、
もともと持っている高い精神性を目覚めさせ、
世界にいても日本にいても、

その生き方そのもので、
世界中を魅了し世界を動かしていく

戦争・偏見・差別で
バラバラな世界を統合していく
その土台を作ることだ、と思っています。

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価値って何なのか


私の妹は社会的弱者です。
ハンデがあって、一人では生きていけません。

働くこともできないでいるので、
見方によっては、社会のお荷物です。

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では、そんな弱者、障害者は、

生きる価値がないのでしょうか?
生まれてきた価値はないのでしょうか?

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ビジネスなら、
何かしら社会に価値を提供することで対価を得ます。

だから、価値の提供は絶対です。
価値もないのに対価をもらうことは詐欺です。

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では、何も社会に「価値」を提供できない人は、
生きてはいけないのでしょうか。
生まれてきてはいけないのでしょうか。

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そもそも、「価値」って何でしょうか。

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私は、妹がいたことで、
社会的弱者を家庭に持った
あらゆる世帯の苦しさを垣間見ることがありました。

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社会的弱者は、「価値ないもの」と見られがちです。
「知られていない=無知」という名の暴力を受けています。

ちょっと異質な存在の障害者は、
「避けられる。」
「変な目で見られる」
「関わりたくないと思われる」

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家族全体が、
「タブー」を抱えているようで
隠さねばならない、わかってもらえない秘密を持って
暮らしているようでした。

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でも、社会には必ず、
そういったマイノリティーがいます。

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マイノリティーの人たちが生きにくてて
隠れるように生きねばならない社会って
そもそもおかしい。

排除されるっておかしい。

誰もが、自分を堂々と表現して生きられる
NYのように誰もが自分をさらけだして
オープンで生きられる社会になることは可能なはずなのです。

苦しんでいるのは、マイノリティだけでもない

と同時に、私には、もう一つ、もっと気がかりがあります。
それに、妹は確かにマイノリティでした。
統合失調症の障害を抜きにしても、IQも低くて勉強ができなくて、割り算の概念がいつまでも理解できなくて、「こんなに頭悪い子っているんだ」と当時の私が相当にイライラするぐらい、物覚えが悪い。


でも確かに、キラリと光る唯一無二の独自の才能の破片は見えていて、例えば、誰が教えたでもないのに、NHKの教育番組を見て、勝手に手話を覚えていたり、近所のワンちゃんのお散歩に毎日ついて行ったり、あんな無邪気にできることがあれだけあるなら、そこを伸ばしていたなら、あのまま、社会でも活躍できたろうに、とも思うのです。

なのに彼女は自分の人生を、社会に解き放てなかった。

なぜか。社会が「普通」であることを強いる中、
「マイノリティ」である人々は、
自尊心を下げて生きざるを得ないから。


でも、この風潮により、苦しんでいるのは、マイノリティだけではなかった。

私は知ったのだ。妹ほどに尖った「マイノリティ」でなくても、日本には、「周りに合わせなきゃ」と自分を押し殺して、自分を我慢して、無難に生きてきたが故に、「自分の情熱」「自分の才能」が何だったのか、わからないまま、魂の抜け殻のように冷めて生きている人がたくさんいる、ということに。

社会への究極の怒り


どうしたことでしょう。
私には、これが一番、許せなかった。


どうして、五体満足で生まれて、
妹のような障害があるわけでもなく、
あらゆることにチャレンジし放題な


健全な肉体と精神があるのに
なぜこんなにも、自分の情熱がどこにあるのかさえわからない人たちが
ウヨウヨと生きているのだろうか、と。

たった一つの命を、
たった一つの肉体を、
この世に生を受けたという贅沢を


何のハンデもあるわけでもなしに、
どうして無駄にしているのか、と。


妹がくれた使命:勿体無いをなくす先へ

奇しくも、私の妹は、
私にかけがえないの使命をくれました。

私が妹に授けたかった生き方。
そうあって欲しかったもの。

それは、

情熱を解き放つ生き方


でした。

先ほどの、「価値」ってなんでしょう。
人の「価値」ってなんでしょう。

という言葉に戻ります。


私は、たとえ人が、「才能」というものがなかったとしても、
例えビジネスになるほどの、金銭を受け取るに値するほどの、
誰かの貢献に値するほどの何か技術的なものを持ち得なかったとしても、

もし、その人が、
情熱に溢れているのだとしたら、
それは、それだけで、誰もが惹かれ、エネルギーをもらえることに繋がる。
それはイコール、「価値」を与えている存在になるのではないかと思うのです。

そう。
私は、少なくとも、妹の存在から、
彼女の好きにかけるエネルギーから、たくさんのものをもらってきた。それが、それこそが、彼女がこの世に生を受けた「価値」なのだと、思うのです。

だとしたら、
この世界は、とてつもなく本当にとてつもなく

勿体無いことだらけです。


だって、あるべき一人一人の情熱が
本人も知らないところで埋れてしまっている。

情熱を解き放って生きている人なんて
人口から見たら一握りです。


そんなもったいことある?!

そう、だからこそ、

《誰もが情熱を解き放つ社会を創る。》

これが、私が、人生をかけて、やりたいことです。


別な言い方をすれば、
全ての人が、自分の才能・ポテンシャルを
最大限に活かし切って生きることです。


誰もが、誰もが持つ、
その人の情熱の源泉にたどり着いたら、
あらゆる才能が引出される、そう信じています。


あなたは、もっともっと、ポテンシャルがあります。
自分を過小評価していては勿体ないんです。

日本人一人一人が持っている使命

さらには
日本人は、もっともっと大きな役割がある。

もともと、

「志」を大事にしてきた、
「理念」を大事にしてきた日本人。


そんな私たち日本人一人一人が、
自分の情熱を解き放てたら、
それこそが世界を動かしていくに違いない、

そう確信しています。

あなたの力を引出したい。

あなたの情熱を曇らす影を取り払いたい。

あなたの情熱が火が途絶えないように、
あなたの心を強くしたい。

あなたの情熱の火が誰かの悪意で消されないように
社会で生き抜く仕事力を授けたい。


全ては、あなたが
あなたが持てる情熱を解き放つため。


私の全ての活動は、ここにつながっています。
そして、世界中を魅了する日本人が
一人でも多く現れるという状況を創りたい。

そのムーブメントが創れたら、
100年後かもしれない、1000年後かもしれないけれども、

もしかしたら、その未来には、
世界中の人々が、日本人の生き方や精神性を手本にして生きていき、
日本的な互いを受け入れ合う姿勢を取り入れ
自分たちの正しさを振りかざした宗教戦争は終わりを告げ、差別も偏見もなくなっていく。

日本人の生き方そのものが、世界を変えうる、と信じています。

力強く生きてきたあなたの人生が、
その生き様が、誰かの人生を後押しする。

あなたが抱えてきた闇を光に変えて
その人生そのものをオープンに語る時
必ず誰かがその光を受け取り、
闇で苦しむ人を助けるかもしれない。

世界に移住しなくたって世界に進出しなくても
日本にいるままでも
あなたは世界を照らすことができる。
あなたは世界を変えることができる。

日本人こそ世界を新時代の流れと平和に導く立役者だ!と思っています。

あなたがあなたの情熱に火を灯して、
今日も生きていけますように・・・。


みま ひとみ



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