謙信公のジャケットが女物にしか見えない件

引き続き、「上杉家の名刀と三十五腰」展で埼玉歴史と民俗の博物館に行ったときのことを。


【博物館の庭には竹林が広がっています】

特別展の手前の、関東管領上杉家に関する展示室に入ると、右手に竹林が広がっているのが見えます。増上寺から移築された、立派な石灯籠もあります。

刀剣乱舞のコラボ描き下ろしの謙信景光は、月明かりをバックに、竹林をスキップしているように見えますが、これはここのお庭の竹林なのでしょうか……


【謙信公が着ていたジャケット】

戦国武将の上杉謙信は、生涯妻を持ちませんでした。
特に寵愛していた妾がいたとか、小姓のだれそれをかわいがっていたとかいう話も聞かないので(私が知らないだけかもしれませんが)、実は女性だった、なんていう俗説もありますね。

今回の展示では、謙信所用と伝わる胴服も三枚展示してあったのですが、いずれも白っぽい絹布に紅の絹布で裏打ちしてあるような羽織です。
そのうちの一つ、白綸子紗綾形雲文胴服(上杉神社蔵)はこちらのページに写真が載っているので、見てみてください↓
http://www.saitama-rekimin.spec.ed.jp/index.php?page_id=525

この写真をみるとわかるんですけど、襟のところに綺麗な刺繍がぐるりとついていて、気品のある中にも華やかなデザインになっています。
この他にも、花などの刺繍がちりばめてあるものがあって、色使いといい(白に紅の裏地を重ねる)なんとも女性的です。現代の感覚では一見「女物?」って思ってしまうんですけど、謙信公は刀の拵えなんかでも草花の意匠を好んだそうですから、実際、こういう胴服を羽織っていたのかもしれませんね。
確かにこんなデザインの胴服が残っていたら「実は女だったのかも……」と考える人がいてもおかしくないなと思ってしまったのですが、戦国時代の感覚からしても、これは「たおやめぶり」なのでしょうか?

ちなみに胴服というのは、羽織の原型になったジャケットのことのようです。
胴服を着た豊臣秀吉の人形↓(風俗博物館)
http://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000101


【この他にも上杉家ゆかりの品がいっぱい……】

あのですね、このほかにも三勝の鍔と拵え一式(中の長光は行き方知れず)、謙信公が礼拝していたという毘沙門天の像、軍配、濃紺に真っ赤な日輪を染め抜いた籏印、家宝の甲冑なども展示されておりまして。ほぼうぶの刀も沢山、たくさん見れましたのでね!
ほかのものに関しても引き続き、覚えている限りの事を書いておこうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?