聖地巡礼 (宗教人類学)- 宗教と文化
-目次
宗教と観光1
宗教と観光2
聖地巡礼とは
聖地をどう捉えるか
サンディアゴ・デ・コンポステラ
巡礼者か。観光客か
宗教からの解放1
宗教からの解放2
宗教の私事化
聖地の私事化
四国遍路1
四国遍路2
パワースポットとは?
再提示型パワースポット1
再提示型パワースポット2
再提示型パワースポット3
強化型のパワースポット1
強化型のパワースポット2
東京大神宮
強化型のパワースポット3
今戸神社
発見型のパワースポット
分抗峠と秋
宗教伝統と観光の衝突
アニメ聖地巡礼1
鶯宮神社
アニメ聖地巡礼2
アニメ聖地巡礼3
アニメ聖地巡礼4
らき✨すた神興と千貫神興
アニメ聖地巡礼5
現代聖地の類型
神なき聖地
日常的な宗教生活の衰退
まとめ:物語が支える聖地
主要参考文献
宗教と観光1
聖地巡礼と言えば、熱心な信仰者が行うものというイメージがgeneral.
それは娯楽としての観光旅行とは区別される
しかし、聖地とされる場所に足を運ぶと、熱心な信仰を持たないだろうと思われる観光客を多く見る。しかし、その一方で、日常生活で宗教が中心となる場所が減りつつある。これを世俗化という。
これまでの聖地巡礼研究では、ほとんど観光は無視されてきた。
好奇心から聖地を訪れる観光客は空間を乱すもの、不真面目な存在として批判的に見られてきた。
宗教と観光2
だが、宗教と観光の結びつきは「お蔭参り」(伊勢神宮参拝)と呼ばれる大規模な(100万人単位)巡礼現象が江戸時代にあったことからも分かるように、元々観光の要素が含まれていた。
近代以降、両者は区分され、聖地巡礼は宗教領域、観光は世俗領域に属すとされた。(場合によって両者は対立するものと考えられた)
それを現在はまた変わってきている。巡礼(宗教)と観光(世俗)を分ける状況から、様々な場所で両者が結びついている変化する様相へ
聖地巡礼とは?
- 宗教の創始者や聖人/しょうにん(徳が高く、人格高潔で、生き方において他の人物の模範となるような人物)の誕生地・埋葬地のような生前関わりのあった場所、あるいは神や精霊といった存在と関わる場所への旅」。その宗教において特別な地位を与えられた場所が聖地であり、その場所への旅が巡礼という宗教的実践だった。
-日本では、四国遍路(祈願のため、四国における弘法大師修行の遺跡八十八か所の霊場をめぐり歩くこと。)や各地の霊山への登拝がそれに当てはまる。
-しかし、これらだけでは現代の聖地巡礼を理解しきれない。
-特別な信仰心を持っていない人でもいわゆる聖地を訪れることが多い。
-これらから、聖性を既存の宗教に限定せず、私的な信仰の多様性(ヒーリング、スピリチュアル、占いなど)を視野に入れる。
聖地をどう捉えるか?
- 聖地と言うときに、その根拠となる聖性をどう捉えるか。2つの立場がある。
- 聖性holiness(イエス・キリストと似たものとなること)を人間や俗世界を超越した力の現れ(ヒエロファニー)とみなす立場と、聖性の根底に社会的なるものを置き、あくまでも社会構造の内部に位置付けられるものと見なす立場。
- 聖地は人間に先立って存在する「世界の中心」であり、動かし難い実存性を持つと考えるのが前者の研究。それに対して、人類学・社会学的立場は、聖地を人間が作り上げた世界の象徴的秩序化であるとみなし、あくまでも社会的に構築されたものとみなす(本講義は後者の立場)
サンティアゴ・デ・コンポステラ / Los Caminos de Santiago
- 2000年代以降、スペイン北西部にあるカトリックの聖地サンティアゴ・デ・コンポステラまで、数百キロの巡礼路を歩く人々が増えている
-9世紀に12使徒の一人である聖ヤコブの遺骸が発見され(たとされ)、小さな教会が作られたことが始まり。
- その後、イベリア半島をイスラーム勢から取り戻すレコンキスタの過程で、苦戦を強いられていたキリスト教陣営に、白馬に乗った聖ヤコブが加勢して勝利に導いたと言う伝説が広まった。
- 13~14世紀には修道院や騎士団が巡礼路や沿道施設を整備。一時的に盛り上がりを見せるが、しばらくは衰退。
巡礼者か、観光客か?
- 1986年の巡礼者数は、2,500人以下。しかし90年代以降、盛り上がりを見せ、2006年以降、10万人を越えるように。
- 大きな理由は小説家パウロコエーリョと女優シャーリーマクレーンの作品
-巡礼者の半数以上は、特に信仰を持っているわけではないし、一度も境界へ行ったことのない人も珍しくない
-しかし、信仰のない観光客として聖地を訪れたが、そこで何か特別な体験をして、新しい価値観や世界観を獲得することもある
-特に他者とのつながりや交流が重視される
宗教からの解放1
- 聖地巡礼と観光はどのように結びついているのか?
- 私たちが生きる現代社会は、近代化を経て、成立した。近代化の歩みとは、社会が宗教から解放される過程『世俗化』
-前近代のヨーロッパ社会では、多くの国がキリスト教を国教としていた。王の権力や権威も教会の承認を得ることで成立する。
教育や医療も、教会の運営する施設が担っていた。街の中心には、教会があり、1日のリズムは教会の鐘が管理した。
-日本でも江戸時代には寺請制度があり、寺が民衆の生活を管理していた。
宗教からの解放2
- 全近代社会では、教会は社会の中心に位置し、隅々まで影響を及ぼしていた。
- しかし世俗化によって、宗教的な制度や倫理観などが社会的意義を失っていった。
- 世俗化が進んだ社会は、生活の様々な局面で、合理的に考え、振る舞うことが求められる
- 結婚や葬式などの出来事も、宗教的儀式や手続きだけではなく、役所での所定の手続きが必要になる。
宗教の私事化
- 世俗化によって、キリスト教は倫理的な規範や価値観を提供することが難しくなり、宗教はあくまで個々人のプライベートな事柄になる。「宗教の私事化」
- これによって宗教が社会的に占める位置が社会から個人へ。
-また、元々の宗教の歴史とは無関係に、個々人が特定の要素だけを選び取ったり、他の宗教と組み合わせるための材料になる
例)健康維持やダイエットのためのヨガ
- これまでの宗教教団の教義が、個々人の受容に応じてばら売りされるようになった。
聖地の私事化
- 現代の聖地は私事化の影響を大きく受ける
-伝統的に聖地は宗教制度や教団に管理され、なぜ特別なのかと言う物語がある。それを宗教制度や教団はこんとろーしてきた
-私事化が進む社会では、伝統的な信仰を持たない個々人がさまざまな物語を聖地に持ち込む
パワースポット化
- 北海道神宮のパワースポット化
-北海道神宮は札幌にある神社
-元はロシアに対する北方防衛の象徴としての色彩の強い神社で北海道開拓の基礎を築いた人々を祀っている
-近年は、恋愛成就や金運向上のパワースポットと言われる。タイや台湾の観光客も増加。
-元の神社の意味とは、無関係に訪れるものたち(聖地巡礼から聖地観光へ)
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