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つれづれ音楽メモ 乳幼児と音楽世界

 本当の気持ち。
 私が今好きな音楽は、ユーチューブで素人が撮影したような観光で歌う最上川舟歌や、土砂降りで子供が泣き叫ぶ民謡イベント動画、会場にしては狭すぎる施設の庭で小さくみんな踊ってる生歌の会津磐梯山動画、音楽で怒られた事がないような沖縄の唄三線インスタ動画です。
日常を切り開いている感じがいいです。感動で目頭が熱くなります。

 私は3歳になるまで、ステレオのセットでまあまあの音量で童謡とクラシックだけ延々聴かされていました。でも意識高い家庭ではありません。
むしろ意識低いです。
なんと、5つ上の兄が4歳でエロ歌謡「夕べの秘密 小川知子」を完璧に覚えてしまい幼稚園の行きかえりに元気に歌っていたせいで近所から拍手喝采で大爆笑されたらしいのです。父は自宅でエロ歌謡を爆音で聞いていたので幼い兄は完璧に覚えてしまったらしいのです。
 そのエピソード、私は親から100回は聞かされたのでよほどの事件だったのでしょう。
その後生まれて来た私には歌謡曲は禁止され、「子供らしい正しい音楽」と「クラシック名曲全集BOX」をひたすら洗脳するように聞かされたのです。

 私は(幼児期健忘というのが無く)1歳ころの記憶でもかなり鮮明に覚えているので、今の言葉で説明できます。
 子供ながらに「はしれちょうとっきゅう」を歌うお姉さんに対しては「テンション高すぎて頭がおかしい・・・危険」という不信感を持ちました。
 クラシックに関しても「こんなにぐしゃぐしゃ高揚して、ついていけない」という印象を持ちました。赤ん坊時代は、クラシックは音が細い束でステレオで派手に左右変化し、情報が多すぎて解りにくいのです。大人の反応を見てこう思いました「みんなどうかしている」と。
 

 親の態度も心の底からクラシックが好きという事ほどんど感じられず
この子には、エロ歌謡を聞かせない。この子だけは私が守る!」的なモチベーションだけで洗脳するように聞かせているので、若干無責任でした。
親は唯一「ユーモレスク」(ドボルザーク)だけ好きそうで機嫌よく口ずさんで「ユーモレスク・・・」と笑顔でタイトルも教えてくれました。

 今でも、童謡は『大人が子供の歌を大人の理想とするイメージで勝手に書いてる』から嘘だとおもう事があります。
みんな幼少時本当はそういう体験あると思うけど、どうなんでしょう?
私は今朝の事の様に1~2歳頃の違和感のある歌を覚えているので、今でもそのチェック機能がウイルスバスターの様に常に動いている気がします。

 唯一、赤ん坊の頃に腹ばいで聞いた童謡「もりのこやぎ」で女の子が淡々と歌うバージョンは良かったと思います。絵本付きで、読み聞かせのようで。赤ん坊なので「もりのこや・ぎ」なのか「もり・のこやぎ」なのかわからないメロディ。ちぎり絵のようなイラストを見て、脳にその世界が展開されます。親は曲を流し、絵本を広げて放置でした。絵本もいろいろ買ってくれたが読み聞かせはなかった。
母親は郵便局で働いていて忙しかった様だ。家事の間、絵本付の音楽を聞かせていたのだと思います。

 わらべ歌や、子守歌は普通に良かったし楽しかった。自分の日常に繋がっていたからだと思います。
だから冒頭に描いたような日常の唄に心が震えるのだと思います。
私の乳幼児時期の・・・誰にもわかってもらえない、今も鮮明に長く長く続く、孤独な、現実とリンクしない音楽世界に寄り添ってくれてるようで。
天使が降りてきて奏でているように見えます。

 2歳までの人生でドラマティックな事ベスト3と言えば?
①「鏡を見なさい」と言われ鏡に映る自分の顔が「はしか」で点々だらけで、人生で初めて「異常な自分」だったこと。
②昼間にお化けが来ているのに大人に言っても、大人には見えていなかったこと。
③「だんごむし」なる生命体が「ヒトのおとな・こども・おとこ・おんな」4種以外にもリアルで存在して裏庭にいる事。
・・・今思えばという大事件は他にもたくさんあるけど、乳幼児当時の脳が認識できるベスト3がこのレベルなのです。

 そんなドラマしかない1歳2歳に、人生の苦難や歓喜を詰め込んだクラシック名作全集を雑に聴かせるのは残酷と思いませんか・・・?悲劇ものも多いですよね。
 ・・・しかしそんな自分でも現在、手探りでパソコンで音楽を作ると、バンドの定番の音より、まったく興味なかったオーケストラ風で「なんとなくこうかな?」という正解の図形パターンだけ既にたくさん知っている気がしてきたので、もしかしたら洗脳で何かが身についているのかもしれません。

 3歳で幼稚園に入りました。「チューリップ」なる歌を、少人数の教室で椅子に座り円になり歌います。今度は順にテストの様に一人ずつ歌うという時、私はボイコットしました。幼稚園は集団ノリでなんでもやる場・・・でも「一人で歌うのは無し」と我に返ってしまったのです。そんな子はほかにも結構いました。ただ、私はその違和感を今朝の事のように天気や椅子の質感まで覚えています。
幼稚園卒業するころには空気を読めるようになっていきます。
(いまならテストと言えど自分でアイスブレイクを入れればよかったと反省しています...)

 そんな3歳児がある日、西洋風の一軒家(洋館ではない)に連れていかれました。
 見たことないような巨大な口を開けたピアノの前、椅子をガチャガチャと高くされ、ちょこんと座らされてしまいます。映画『グリーンマイル』を観て電気椅子の怖さを知りましたが、ピアノ椅子もそれに匹敵するでしょう。(話がそれた)
 鍵盤は今思えばさらりと吸い付く冷たい象牙でした。象牙の等高線のような繊細な濃淡と立体感が3歳児にはドアップでとても大きく見えます。1本をじっくりみてしまいます。


 そこは、園児を教えたノウハウもない、公務員が副業禁止なのに勝手にやってる、違法な雑な〇〇〇〇ピアノ教室だったのです。(つづく・・・つづかないかもしれない・・・)

 グリーンマイルは電気椅子への通路の名称です。原作は「ときにグリーンマイルは長すぎる」と物語を結んでいます。
歳を取ると一年が速く過ぎるでしょう???逆はどうだと思いますか?
1歳頃の日常を覚えていると3歳までに100年くらい生きた感覚になります。