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作詞の初心者のつれづれメモ

 ポロッと言うと、お笑い芸人のネタを量産する工場みたいなのは実在する。今は芸人さんがコラム等でそんな裏事情も書くようになり、昔ほど隠さなくなってきてるかな。ま、冗談半分で時々語られます。

 Jポップの歌作りも似た気配がしていて、そういうのは避けたいなーって思ってた。
趣味で音楽やるからには【視聴率のグラフが上がる】【共感できる】【途中から見ても分る】【誰でも想像しやすい】【マネしたくなる】etc… ヒットの法則を気にしないで気ままに遊びたいから。

 あと、詞って、、、短歌や俳句のほうが一瞬でその場所に連れて行ってくれて、短歌や俳句のほうが私には楽しい。
流行歌の長い詞は要領悪いナァとか・・・そんな強い偏見がありました。
 人の歌詞は好意的に聴けるのですが、自分で書くとなると短歌の回路が強すぎて、長い歌詞の心が凍りついてしまう。
この1年、酷暑にも負けず、その氷のような冷たい思いはどんどん酷くなって。心は永久凍土で頭は知恵熱で大火事でした。

でも最近、プロの作詞家をたくさん育てた人の本を読んだら考え変わった。

 戦争に行った人も、バブルを生きた人も、不景気しか知らない20代も、
凶悪サスペンスドラマのエンディングも、10代の恋愛も、、、
『歌の骨格はだいたい同じ』と知った。
かたくなに拒否してた歌と詞のありかたが、なんとなく腑に落ちた。
エロ民謡やエロ歌謡が存在する理由もなんとなく腑に落ちた。なんとなく。

 そう、今までもなんとなく腑に落ちていた。でも決定的ではなかった。

今回決定的に心が開いたのは、アンパンマンの
やなせたかし先生も、歌の骨格は同じって思えた事。

 戦争を軍人として体験し、ハングリーでピュアな、あの、ご高名な
やなせたかし先生がいいっていうなら、いいじゃないか。
単純。(氷の心が溶けました)

 アンパンマンの作品はポップスか? ーーー当初はそうでもない。
怪しいおじさんだった。そうとう酷く言われたらしい。
実際ににずっと売れなかった。

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 おもむろに頭を食べさせたり首が飛ぶ挑戦的な設定もすごい。
やなせたかしが戦争を体験し、理想を描いた唐突すぎる話がファンタジーに展開した。

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 「手のひらを太陽に」(🎵ぼくらはみんな生きている)の歌詞はやなせたかし自身がみたままの世界を書いた。
その詞が、作詞の教本の序盤に、宇多田ヒカルやサザンや演歌と、定番の型として同列に紹介されていたのです。

 やなせ先生は、ブレイクしたのはかなり年取ってからなので、デザイナーや漫画や作詞等いろんな職業して、変わり者で、頑なな信念があって…。
「アンパンマンが私の子どもです」と言い張っていた。
そんな人でも歌の形式を守ってるってことは、よほどのこと・・・と素直に思った。

 かといって、私がポップス的な物を作るかどうかはまだ分からないが、この数年かたくなに拒否し、仕事のダークサイドを押し固めたような苦しい永久凍土の世界が溶けて開けた気分になってよかった。

 せやから、9月8日は永久凍土解凍記念日。(←作詞するならもっとうまい事いわないと・・・w でもいいの、いまは肩の力抜けたから。
今後迷ったらまたこのメモを読み返したいナ。)

追記:なんでやなせ先生に詳しいのかと思ったら、
昔、番組でやなせたかし特集を担当したからだった。

 先生はキャラクタービジネスでめちゃくちゃ儲かっていて、家じゅうキャラクターグッズで。先生時々銭の亡者みたいに見えてたけど、そんな社会の仕組みが作る莫大なお金さえ「戦争や病気に比べたら、ささいな事」って考えてるような印象でした。(被災地支援もしていました)
嫌味なく子供の様におもしろがって何でも話してた。
社会の仕組み以上の強烈な信念と人柄で、絵本から飛び出してきて空間全部を自分色に染め上げちゃうような人。
亡くなられましたが、パワフルで素敵でした。

 晩年積極的にテレビに出ていましたが、実際は60代から90代に向けて病気や不調を大量に抱えていたといいます。膀胱がん10回再発とか。信じられません。(私はやなせ先生がゲストの番組も資料で何本も見ていますが表で病気の話はしていませんでした)そんな中でも、どんな芸人さんより「元気100倍」で画面に登場していたのですから、すごいです。かっこいいです。
 今となっては多くの病気を数十年間抱え、目や耳も心臓も衰えていた。そんな後ろ向きの巨大なエネルギーに立ち向かうために、あんなに強く前向きだったのかなと思います。