見出し画像

めいちゃん

私は和歌山県で生まれた。

和歌山の祖父母の家の裏に『めいちゃん』という女の子が住んでいた。

確か4つくらい歳下だったと思う。

小さい頃、私達はよく遊んだ。めいちゃんが私の名前を呼ぶ声を今でもハッキリ覚えている。


3歳で逃げるように千葉に引っ越し、小学生の時の夏休みは毎年和歌山で過ごした。

父と祖父が和歌山で会社をやっていたけど社員のトラブルで倒産し、両親と兄と私の4人だけで千葉に来たのだ。なぜ千葉なのか?は未だに知らない。

会社倒産後に祖父母が和歌山駅近くのスナックビルにカウンターのみの小さな焼肉屋を始めた。

バブル期は行列ができるくらいの人気店で、ホステスみたいなお姉さんとか入れ墨の入ったお客さんがよく来ていた。みんな優しかった。

スナックビルの横はなぜか大きめの病院で、パジャマを着て点滴を持ったままの患者もその辺を歩いていて、なかなか面白い街だった。

祖父母はヤクザの事を『ヤーさん』警察の事を『ポリ公』と呼んでいたので小学生の私もそう呼んだ。
ついでにゴキブリの事は『花子』

昼間は祖父母の自宅でおしぼりを丸めるのを手伝い、夕方になると肉の卸などに寄って仕入れをし、深夜2時くらいまで店にいた。


店が暇な日は祖父がよくパチンコに連れて行ってくれたり、ぶらくり丁にあるスマートボールや本屋に連れて行ってくれた。

祖父はヤクザみたいな見た目でヤクザと仲良しだった。なんだったんだろう?よくパチンコで他のお客さんと喧嘩をしていて私はそれを見て笑っていた。
そんな小学生の夏休みだった。

私は祖母の事が嫌いだったけど、祖父母の家が好きだった。いつも千葉に戻りたくなかった。

夜逃げのように千葉に来たのでボロボロの借家で毎晩飲酒運転で帰ってくる父のDVに怯え、小学校では差別されイジメに遭っていたからだ。

和歌山で過ごす夏休みだけは、学校もなく父もいないために平和だったのだ。

イジメや父の事は後々書こうと思う。


つい先日まで、上手く眠れなかった。

そこで眠れない夜はノートを書こうと決めたのだ。

有名人の首吊り自殺のニュースが立て続けにあった。
有名人の自殺はそれほど気にならないが、眠りが浅く変な夢を見たりする。

自分が首吊り自殺をした想像までしてみる。

それを発見した家族のショックやその後とかを想像してみる。とても辛くなる。



めいちゃん、元気にしてますか。

祖父母の家の裏に住んでいためいちゃんは幼い頃、自分の母と祖母が自宅で首吊り自殺しているのをめいちゃん本人が発見している。

めいちゃんのお母さんは、めいちゃんが小学校低学年くらいのとても幼い頃だったと思う。
私も少ししか記憶がない。とても優しそうな人だったと思う。


めいちゃんのおばあちゃんはもう少し大きくなってからだ。めいちゃん本人が、私の祖父母に助けを求め呼びに来たらしい。

うちの祖父が首を吊っているめいちゃんのおばあちゃんを降ろした。間に合わなかったけど。


めいちゃんはその後、お父さんと2人で暮らし介護の仕事に就いたらしい。
私はもう子供の頃から会っていない。

その後どうやって生きたのか、今も生きているのか。何も知らない。

私はたまに死にたくなると、めいちゃんの事を思い出す。

まるで自分よりもっと不幸な人がいる。と、めいちゃんを利用して生き延びているようだ。

なぜ2人とも首吊りをしたのか。うちなんかよりもとても平和な家庭に見えた。


もうきっと二度と会う事はないけれど。

めいちゃん、どうか穏やかに幸せに暮らしていますように。

ここにあなたの事を今でも気にかけている人がいます。


祈りながら今日も目を閉じる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?