7/5 ひとりごと

のんびり金曜日

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「コミュニケーション」について書く。
「我はコミュニケーションが苦手」と一言で片付けてしまうことも出来るが、分析していきたい。

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我は職場で自分から仕事外の話を持ちかけることはない。
でも今日後輩に勇気を出して、話をしてみた。(我の参加しない職場の飲み会についてなので半分仕事なのだが)
すると後輩の知られざる一面が色々分かった。
後輩は友達と毎週飲みに行くような、プライベート面では我と真逆の人だった。
色んな人間がいるんだなってことを再認識した。

と同時にこんなにも違う人間同士が同じコミュニティ内で分かり合うって相当難しいのでは?とも思った。
共通の話題とかもなさそうだし、様々な物事の考え方も違いそうだ。
でも、人間ってみんな生きてきた環境も違うし遺伝子も違う。
それなのにどうして正常にコミュニケーションがとれているんだ?
日本語という共通言語があるにしても、言葉の捉え方は人それぞれなのに、どうして相互理解のコミュニケーションがとれているんだ?

最近、人と正常なコミュニケーションをしている気がしていないので、
子供の頃、無意識にできていたことが大人になって分からなくなっている。

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「他人に迷惑を掛けたくない」なんて上っ面の綺麗事で、
本当は「変な人間と思われたくない」「嫌われたくない」「傷つきたくない」というただの自己防衛。
他人のことなんて興味ない。
自分が綺麗であり続けたいだけ。
そんなわがままを持っている時点で「綺麗」な心ではないのに。

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最近、自分で自己分析を続けていく上で少し限界点を感じ始めている。
自分の脳みそから捻出できるものは出尽くしたような感じ。
インターネットで調べると無数の考えや意見は出てくるが、検索バーに言語を打ちこまないといけない。
その検索バーに打ちこむのは自分から出てきた言葉だから、結局自分の見える範囲内の情報しか手に入らない。

それを打開するためにはコミュニケーションをとる必要があるのでは?と最近思い始めた。
GHの人やお医者さん等「理解のある人」とのコミュニケーションは慣れてきた。
しかし、職場等、「それ以外の人」とのコミュニケーションは毎回かなりのカロリーを使う。
外国の偉いさんとコミュニケーションをとるような緊張感。

多分「理解のある人には変な面を見せても許容されるからOK」と「それ以外の人には変な面を見せたら変を思われるからNG」の違いがあるんだと思う。
だからそこのボーダーラインをなくす、つまり「それ以外の人にも変な面を見せてもOK」にしたらいい!!

と思ったけど、そもそも自分を「変な特性もち」とカテゴライズしているのがいけないのでは?と思った。
うーん、でも「自分を真っ当な人間」と思いこむのも違うし、「変な特性はNGじゃないよ」と思うのも難しい。
実際その「変な特性」で苦労しているから。

このカテゴライズ感をとりたい。
「理解のある人」と「それ以外の人」っていうカテゴライズと
自分を「変な特性もち」とするカテゴライズ。

「みんなちがってみんないい」みたいな心の広い言葉を受入られる程
私の心は真っ直ぐではない。
もっと入り組んだルートで落としこまなければならない。

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今の課題は「傷つきたくない」という自己防衛を外してコミュニケーションをとりたい。
それと、自分や他人をカテゴライズ感をとりたい。

簡単な意識だけでとれるほど、自分は単純ではないと思うので
時間をかけてどうにかしたい。

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