見出し画像

自己紹介

初めまして、自分はユキマチと申します。
現在は慶應義塾大学の通信学生として社会人学生をしております。
趣味は2年ほど続けているペン字矯正です(若干綺麗になりました)。

さて、初めてのnote、何を書こうか悩みましたが…
やはり学びの原点についてでしょう。
もしこの記事を読んで「慶應通信を受けてみようかな…?」と悩んでいらっしゃる方のちょっとした後押しになればと思います。

しかしユキマチさんは浅学非才の身の上、自他共に認めうる大した実力もない人間ですので、いったい人様に何を語れましょうか。

…と考えましたが、一つだけ他人には無い様な経験と悟りを得ております。
最初に仰々しい事を言うようですが次の言葉を頭の片隅に置いて読み進めていただきたいのです。

人生で、生きていれば必ず学ばなかったことを後悔する日が来る、そしてその日は人生で一番最悪の状態の時に起こる

です。

この真意を紐解くには身の上話をしないとなりません、なぜ「再び学びの道を志そうと思ったのか」について自分の反省を振り返りながら綴ってみたいと思います。

短大編

自分は熊本の私立高校を卒業し「時代はITだ!プログラマーになろう!」と熊本県立技術短期大学校(情報映像技術科)へと進学しました。
ここは通称「県技短」と呼ばれ、2年で4年制大学と同等の単位を取得し、コストパフォーマンスの高いエンジニアを養成して輩出する学校です。

もちろん2年で4年制大学と同等の単位を取るものですから、カリキュラムは過密すぎるほど過密で、通常の大学のフルコマに相当する様な授業をやっていました。
授業内容も専門的で難しく、正直自分は勉強は得意ではなく優秀な学生ではなかったので、教授の皆様にはご迷惑をおかけしながらの学生生活でした。

当時の就職活動は難航し、出来れば地域に根差した…もとい熊本県下のIT企業に就職したかったのですが県内のIT企業は数多くなく、現在ほど隆盛した市場ではありませんでした。

ついぞ最終的には陸上自衛隊コメリの店長候補のみが残りました。
しかしコメリからは条件付きでの内定をもらいました。
「普通自動車免許を入社前に取得すること」です。

ユキマチ家は高校時代に父が糖尿病からの脳梗塞でぶっ倒れ、生活は貧困を極めました。
短大には奨学金を借りて通学したので…免許代なぞあるはずもなく…

そして卒業を迎え、クラスのみんなは地元の中小企業へと就職をしていく中、自分は陸上自衛隊の任期制隊員として入隊を志願しました、と言うのも別に小銃を持って走り回りたいが為に入隊を志願したのではありません。自衛隊では技術曹という枠があり、条件を満たした上で試験に合格すれば下っ端の陸士でもいきなり3曹から階級が始まると言ったものです、自分はこれをやりたく思い入隊いたしました。

(ただし技術曹には枠があり、枠が空くまでは試験も無く、技術曹なることが非常に難しいと言うことをこの時知りませんでした。)

陸上自衛隊編

そんな訳で入隊を果たしたのですが一言で要約するなら「地獄」でした。
自衛隊と言えば災害派遣や国際支援で活躍し、皆から感謝される崇高な仕事というイメージを皆さん持たれると思います。
高速道路のサービスエリアで自衛隊車両が停まっているのをみたことある方もいらっしゃるかもしれません、よく県外の演習場へ行く時に小休止でお邪魔する事がありましたが、何とも畏れ多いことに「うわぁ〜兵隊さんじゃぁ〜」とお爺さんお婆さん達から拝まれた事もあります。
国民の財産を守る為に存在する自衛隊なので、実際訓練は大変であり、時に厳しく指導されることもありましたが、普段過ごす中でしないであろう経験をさせていただき、そしてやり甲斐のあるものでした。この時までは「自分は民政の安定に寄与するべくこれから生きていくんだなぁ」と思ってました。


では何が問題なのか、それは人間関係が最悪と言ってよく、コンプラの糞もへったくれも無い環境でした。
良くも悪くも階級が絶対的に物をいう組織です、飯食った数ほど偉いところなので、先輩の言うことは絶対なガチガチの体育会系組織ですね。

それはまあ理不尽な⚫︎⚫︎を受けたり、おもちゃとして扱われ、その劣悪な環境に耐えかねた自分の同期は脱柵(駐屯地から逃げ出す事)したり、別の駐屯地に逃げるべく進路を変えたり、依願退職したり、うつ病になってしまったりと様々でした。

そして少なくなる同期、目標が絞られるのは容易に想像できると思いますが、ある出来事をきっかけに「本当に⚫︎される」と思い、いよいよ依願退職を決意しました。楽しいことも沢山あり、とりわけ目にかけてくれたお爺ちゃん曹長の方々もいらっしゃいましたが、これ以上は身も心も持たないと判断せざるを得ませんでした。

重ねて言いますが本当に●ぬかと思いました。

契約社員編

そんなわけで自衛隊から命からがら逃げてきました。

図1:敗走兵

実際に逃げ落ちた時は愛車のVMAX1200に荷物を括り付け帰ってきました。
1ヶ月ほどニート期間をエンジョイして地元の大手企業に契約社員として就職しました、ただ契約社員なので2年と11ヶ月というタイムリミットがあります。

正規登用試験もあり、正社員になるための試験で合格できれば…と考えながらのんびり働くことにいたしました。そこから1年後の事です。

COVID-19(コロナウイルス感染症)が大流行をし始め、弊社もその煽りを一身に受けました。感染者が多発し、操業停止になり、そのタイミングで契約社員・派遣社員の雇い止め、派遣切りが始まりました。

当時の上司から「ユキマチー、悪いけど次の契約更新は無いから、これから転職活動をするもよし、会社都合だから辞めてから失業保険もらいながら就職活動するもよし、次の転職先を何とか探しておいてなー」と矢継ぎ早に言われました。

図2:意識が宇宙に飛ぶ放心のユキマチ

約100人ほど居た非正規雇用の人間は徐々に切られて行き、自分も最後の最後に解雇になる予定となりました。いざ転職活動を始めるも…その時で確か完全失業者数が11万人でしたでしょうか。とんでもない競争倍率となってしまい、業種に拘らず幅広くエントリーシートを送ってみましたが、どこの企業へ送っても通らずで面接にすらこぎつけることすら出来ませんでした。


完全失業者数が11万人、つまり競争相手がこの数いるということです。
考えてみましょう、もし逆の立場で企業の人事だとして、いきなり大量のエントリーシートが送られてきたとするならばどう選別するか。
そう、学歴でフィルターをかけるのが道理だと推察できますね。

この時「僕はスタートラインにすら立てないんだなぁ…」と思い悔しさの余りむせび泣きました。

短大卒、魅力的な資格なし、自衛隊上がり…

「コロナウイルスなんて誰が想像できただろうか、仕方のない事だ」とも考えられるのでしょうが、そうではないのです

努力することを怠り、自己研鑽に努めず、惰性のままに日々を過ごしたのはほかでもない自分自身なのです。

この事実を悟ったとき、僕は己を心底呪いました。

これが「人生で、生きていれば必ず学ばなかったことを後悔する日が来る、そしてその日は人生で一番最悪の状態の時に起こる」という事です。

そしていよいよクビになる筈でしたが、なんとその直前に操業計画が立ち、一人だけ解雇を免れる事になりました。

その後、2年10か月目にして正規登用試験に合格し、今現在に落ち着きます。


心のうちに芽生えた心境の変化

こうして解雇を免れ逆転の正社員登用まで漕ぎ着けた訳ですが、心のうちにある一つの萌芽が顔を出しました。

「勉強しなければ…」

今回こそ結果的に何とかなったものの、本当に困った時に助けてくれる人はおらず、自分自身で何とかするしかないと悟りました。

契約社員時代こそ「なんて不条理だ!ひどい!」と憤慨しておりましたが、書籍を読み勉強するにつれて「会社は正社員を第一に守らなければならない」事と「契約・派遣を切ることで目に見えてコストカットとなり余剰金が生まれる」と言う事等がわかりました。

自分はあまりにも世間知らずだったのです。
思い返せばエントリーシートも通らず、面接に漕ぎ着けずと言うのも自らが努力を怠って成長しなかったことに起因しています。

そう考え、勉強すべく自分は書店で自己啓発のコーナーをうろちょろしていると、あることに気がつきました。「孫子に学ぶ経営戦略」「最強の組織サバイバル韓非子」「論語と算盤」、古代中国の思想家達の名を連ねたビジネス書籍が大量にあることに。

これは一体どう言う事でしょうか。
興味を持って手に取って読んでみるとなるほど面白い、孔子の言う事はどれも当たり前ではあるけど道理に適っており、日本人の根幹を成している大和魂、武士道に通づるものがある。中国の思想家はこんな事を考えていたのかと。

そこからは資格試験などを行いつつも、取り憑かれたように孔子や韓非子に傾倒しました、そこで「中国四書」の「大学・中庸」に巡り合い、「大学とは何をする所か」「学ぶと言うことは」という事について触れ、決断しました。

「…もう一度大学に通うのもアリよりのアリなのでは!?」

アメリカでは70代のおばあさんが「再び学びなおしたい」と大学に入学する話をチラと聞いたこともあります。

ただし自分が住んでいるところは田舎なので会社を辞めてまで大学に通うのも危ない橋を渡るようなもので、かといって会社勤めをしながら夜間大学に通うのも移動距離的に現実的ではない。そう思い通信制にてやり遂げようと志しました。

通信制といえば「サイバー大学」「放送大学」等の存在は知っていましたが通信制を設けてる大学の一覧の中に「慶應義塾大学」や「早稲田大学」の字があり大変驚きました。

学べる範囲と、自分のお財布と、これからの未来と相談しつつ、自分は慶應の門を叩いてみる事にしました。

国内最高峰の一角である慶應義塾大学で学ぶことで、慶應たりえる学びの力を身につけることができるのでは無いだろうかと。

慶應通信では普通課程、特別課程、学士入学と3つの門が用意されてます。

高卒→普通課程(自力で124単位)
短大・高専卒→特別課程(18単位認定)
大卒→学士入学(40単位認定)

なるほど、という事は僕は特別課程での入学になるわけです。
正直受かるとは考えていませんでしたが、今までの経験とこれからの展望を文に興し、願書を送付しました。


結果

図3:不受理


図4:僕「アアアアアアアアア!!!!!!」

要約すると「県技短は厚生労働省管轄の短期大学校であり、文部科学省の定める短期大学ではないので受理できません」という事でした、ただ「間に合うなら普通課程でなら受理できますよ!」との事だったので懐かしの母校へ駆け込み、再び卒業証明書を入れて再送しました。

もしこれを読んでる「慶應通信受けようかな…?」と考えてる方がいらしたら必ず自分の出た学校が出願資格に適しているか確認されてくださいね。
あと願書の送付は不備があった時の為になるべく早め早めにしておくことをお勧めしておきます。


図5:合格


こうして自分は学びの道へ辿り着く事ができました。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

最後にもう一度、重ねて言います。

人生で、生きていれば必ず学ばなかったことを後悔する日が来る、そしてその日は人生で一番最悪の状態の時に起こる

後悔しないためには己を磨き続ける他にないと思います、どんな玉石でも角を取り、磨き続けることで光り輝くものです。

ぜひ学び、継続していきましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?