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普通の話 ⑨

しばらくぶりのnote。何度か書いてはみたものの形にならず。気付けば1年とか書いてない。インスタとかXとかは書いてるけど、色々知ってる人が読んでることもあり文句を言われたりなんだりで、すっかり「書く」という行為に臆病になりました。

そんなこの1年で舞台や観劇以外の事でのトピックと言えば、父が倒れた事でしょうか。かなり凄い出来事です。お蔭様で一命は取り留め今は病院のお世話になってます。今年は77歳のお誕生日で「喜寿」。やはり昔からある還暦以降の様々な節目の年は乗り越えるのが難しいのだなと感じます。この後母にもやってきますし、父は「傘寿」が3年後にきます。その時には家でお祝いが出来ると良いなぁと思います。

そんな父の出来事の時に沢山の方に助けて頂きました。その中でそれまでの父にも自分にも感謝だなぁと思う出来事が何度もありました。父が倒れて運ばれた病院では、父は何処の誰兵衛か分からない只の患者さん。父の弟は元々ドクター。わざわざアメリカから帰って来てくれました。病院で叔父が挨拶してくれた事はとても心強かったです。祖母が亡くなった時も、その後の相続の問題も含めて全部父がやっていたからこそ、飛んで帰って来てくれたのでしょう。叔父の為に沢山の事をしていたからこそだと思います。
同じ様に、父が入院中にも一難去って(?去らずに?)また一難ともぐら叩きの様に次々と問題が起こった時も、過去の私が助けてくれました。かつて医療事務をしていた病院のドクターに聞きたい事があってお電話した時も親身になって聞いて下さり、安心してオペに臨む事が出来ました。もう辞めた病院で地元を離れて以来一度もお会いしてないのに。過去の私がきちんと仕事をして、その先生とも良い関係のままだったからこそだと思います。辞める時は東京に行くから!と言う前向きな理由で辞めましたが、後ろ足で砂を掛ける様な事をしなくて良かったなぁと思います。

同様に護られてるなぁと感じる事が沢山のありましたし、今もあります。父の状況によく似た方を知ってる人が身近にいたり、最近では父と同い年の方の病気からの回復ぶりを私と同い年の友人から聞けたり。Tちゃんのパパはご病気になられてからもう何年も経ってらっしゃるし、若い時の病気からの回復曲線と77歳の父のそれとは同じ様にはならないけど、それでも可能性が感じられることは暗中模索…( ノД`)と思ってる人間からすると有り難い事この上なくて。

意識的になのか、無意識的にもアンテナを張っているんでしょうけど、必要な情報はもたらされるんだなぁと実感してます。なので、きっとなるようになるんだと思っています。投げやりな意味ではなしにね。
だからこそやっぱり自分の意思は表明しないとダメなんだなと思います。だって私が何を思っているかなんて誰にも分からないんだもの。情報も出会いも人を介してしかもたらされないんだから。

そんな事を思いながら過ごしている今日この頃です。
今年は頑張って書くわ❕

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