12月16日91歳

おばーちゃん、長い間お疲れ様でした。
ありがとう。
ここまで長生きしてくれてありがとう。

子供の頃、おばーちゃんっていう存在は寿命があるんだってことを知ってから、いつその日がくるのかずっと怖かった。
おばーちゃんにはずっと生きてて欲しい。
突然いなくならないで欲しい。
でも必ずきてしまうその日がずっと怖かったんだ。

だから、私は今悲しい気持ちと同時に少し安堵してるよ。
突然の別れではなく、半年以上、寝たまま少しづつ別れを知らせてくれていた。
最後の最後まで優しいおばーちゃん。
ありがとう。

意識不明になってから半年経って、もしかしたらこのままずっと生きててくれるんじゃないかとか、
コロナのこの状況で面会できなかったけど、面会できるまで生きててくれるんじゃないかとか少し期待してたけど
寝たまま生かされるつらさ、点滴だけで変わり果てた姿、どちらも苦しいものがある。
これでよかった。
本当に最後の最後まで優しすぎる。

おもちゃも洋服もなんでも買ってくれたなぁ。
お年玉の桁おかしかったし、札束もくれたしね。笑
社会人になっても遊び行けばお小遣いくれてさ、「お小遣いあげるのがおばーちゃんの楽しみなんだから」ってね。

大好きな大好きなおばーちゃん。
おばーちゃんが私のおばーちゃんじゃなかったら、私の人生も人格も変わってたよね。
私はおばーちゃんに本当に愛されてた。

いつかくるお別れのために、今できること精一杯のことをやろうと思ってたんだ。
お花結構送ったよね?
美味しそうなケーキとか、あと本送ったり。
旅行の写真あげたりとか、あと私の撮った写メのポストカードとかね。
きっと何をしてももっとできることはあったんじゃないかって思っただろうけど、まさにそのとおり。
もっと色々してあげたかったよ。
けどね、それもわかってたんだ、こんなに愛されてきたんだから、それに返せるものなんてたかが知れてる。

きっと人ってそうやって人生歩んでくんかな。
失った大切な人がいて、その分、今いる大切な人をもっと大切にする。
そして、大切な人を作る。自分の家庭を作る。

私もおばーちゃんみたいにたくさん孫を愛する人生を歩みたい。

おばーちゃん大好きだよ。
ありがとう。
91歳まで頑張ってくれてありがとう。

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