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消えたいと思ってしまう時

今の心境をただ思うままに。

三浦春馬くんが亡くなってしまいました。
自分の直接接してきた人ではなくても、画面越しの相手でも、自分側からしたらその姿も声もにじみ出る人柄の良ささえも知っていたからなのか
心にぽっかり穴が開いてしまって、毎日朝が来ては「あれ、夢じゃなかったんだ」とがっかりすることの繰り返し。
映画やアニメのように過去に戻って何とか会いに行って田舎においでって誘ってみたり何らかの形で助けることはできないかと妄想もしてしまうけどやっぱり現実はそうはいかない。
5日も経ったというのにまだ全然前に進めていない。

私の精神は彼と比べ物にならないほど貧弱だということは大前提として…
彼が亡くなった本当の理由も本人しかわからないし、それを憶測して「こうだったんじゃないか」「ああだったんじゃないか」と人の心や歴史を漁るような記事も好きではないです。
それでも、ふと自分でも危うさに気づく時があってもしそれが同じだったとしたら芸能界という引き返せない環境での孤独感はどんなに辛かったんだろうなぁと思ってしまう。

私には何か思いが伝わらなかったり思うようにいかなかったりするとどん底まで落ちて他のことも全てマイナスに捉えてその果てに「消えたい」と思ってしまうことがよくあります。正直未遂も何度かしたことがあります。
そんな状況が、結婚して地元を離れたこの3か月ぐらいの間に何度もありました。
もし地元にいてもこのコロナ禍ではなかなか友だちにも会うことができなかったとは思うけれど。。。
私は昔からいくら仲の良い友だちにでさえ電話はあまりする方ではないし、もちろんオンライン飲み会も2度ほどしましたが苦手です。
というのも、自分に対してもそうだけど相手の時間を奪ってしまうことに抵抗があるからなんですよね。始めてしまえば気にしすぎだったなと思えて話を楽しめるんですが…。余談ですが、結婚したものの旦那も転職してほぼ休みなしで朝から晩まで働いているので結婚前よりも一緒にいる時間が減ってしまいました。それもあってなかなか人に思いを話せる機会がないのです。。
だからどうしようもなく胸が苦しい時に誰かに聞いてもらえたら解決はしなくてもほっとするということも知っているけれど、直接会えない状況だし…と躊躇ってしまう。そうしているうちに心の中のもやもやが積もり積もっているみたいで、買い物先の店員さんや、家族に対して笑顔で接することはできていても、その後自室に帰ると急に孤独感を感じて泣き出してしまうという感情の波の激しさをよく実感しています。

そんな時はとにかく自分の思いを残すようにしていて、普段は自分しか見られない日記に残すようにしています。
ただ今回は同じように心を痛めている人がもしいてこれを見てくれたら一緒に立ち直りたいと思ってここに書いてみようと思いました。
自分の好きなように、思うままに書いて残しておくと、少しだけすっきりするし後で見て「こんなこともあったなぁ」と私は思えます。
そして私は次に友だちを頼ることはやはり目標にします。
辛い時に辛いって言ったり助けを求めることは恥ずかしいことじゃない。
そうすればきっと何か変わるはずだから…。

私はまだ何かをする意欲があまり湧かないけど、
三浦春馬くんが生きてきた証が幸いにもたくさん見られる状況にあるから、
少しずつ見て、前を向いていこうと思います。
あの笑顔がずっと頭から離れません。
どうか、春馬くんの心が救われていますように。
そしてこんなに心が痛むことがもう起こらないよう、温かい世の中になりますように。

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