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藤井風「帰ろう」を聞いたら、おじいちゃんのことを思い出した話

19歳の時、人生で初めて触れた"死"。

それが、"おじいちゃんの死"だった。


おじいちゃんは2年前に亡くなった。

認知症になって、最後の方はおばあちゃんのことも母親のことも忘れていたらしい。

私が生きているおじいちゃんに最後に会ったのは、中学の卒業式の日だった。

中学校からおじいちゃん家が近かくて、卒業式の後その足で家に向かい、おじいちゃんとおばあちゃんと写真を撮った。ふたりに会ったのは、中学の入学式以来だったはず。

両親が共働きで、小さい頃たまにおじいちゃん家に預けられていた。でも、私が極度の人見知りで、上手く懐けなくて、あまり居心地が良くなかった記憶がある。

年齢が上がるにつれ、会いにいく回数がどんどん減っていった。

約4年振りに会うおじいちゃんは、人生で初めて見る"人の死"の姿だった。



今まで自分の中で漠然としていた"死"が、目の前に、あった。

頭の中で想像していたおじいちゃんよりも、棺桶の中のおじいちゃんは痩せていた。声は思い出せなかった。



母親が喪服を着る時に「これ、おじいちゃんが作ったんだよ」と教えてくれた。(昔、おばあちゃんとふたりで縫製の仕事をしていた)

おじいちゃんは昔からパニック障害やうつ病や自律神経失調症の病気を患っていて、匂いに敏感な(新品の座椅子の匂いがダメでしょっちゅう返品していた)体質だった。

その孫の私が、14歳で起立性調節障害(自律神経失調症の思春期版のようなもの)になったり、同じく匂いに敏感で新品の椅子が部屋にあるだけで酔ったり、(科学的根拠は分からないけど)体質が明らかに隔世遺伝している。

動けなくなっても話せなくなってもこの世からいなくなっても、残るものがある。必ずある。

ーー私が残せるものってなんだろう。


おじいちゃんの死から、そんな漠然としたことを考えるようになった。

縫製の仕事場にちょっかいを出しに行ったら、長方形のミントの板ガム貰ったなぁとか、今書いていてふと思い出して。おじいちゃんは忘れてしまったかもしれないけれど、私の中にはちゃんと残ってる。

未だに答えは出せていないし、その不思議な、なんとも言えない感覚も忘れかけていたのに、「帰ろう」を聞いたら、またその感覚を思い出した、そんな話。


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