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不登校支援のコーチとして活動する私の思い

このnoteでは
私が不登校のお母さんに向けて支援をしようと思った想いや
これまでの私のストーリーをお話したいと思います。

・・・

私は某国立大学の教育学部を卒業した後、
福井県のある小学校で
学級担任として、6年間教師を
していました。

公務員といういわゆる
安心・安定の職を捨て、
不登校支援をしようと思った時
不安ももちろんありました

当然、
不登校支援のコーチとして食べていける
保証なんてどこにもありません。

それでも「不登校で悩む親子を支援したい」
という私の諦められない想いを持って、
ここまで活動をすることができました。

そうした想いを持って活動していったことで
あなたに知ってもらい出会うことができました。

そんなあなたに一言、最初に言わせて下さい。

「出会ってくれて本当にありがとうございます」





・・・





どうして教員を辞めてまで、不登校支援をしているのか?

そう思われる方も多いとは思います。実は・・・
私はかつて不登校でした。

中3時代のひまわり先生

中学3年間の不登校はまさに、「地獄」そのものでした。

学校に行けないことで、親の迷惑になっていると
思い自殺サイトを読み漁る

犯罪者と自分を比べ、「こいつらよりマシだ」
と常に言い聞かせる

不登校の自分が周りからどう見られているかが
気になって家から一歩も出られなくなる

不安が強まりすぎて、心療内科を受診し、
薬を飲むことでなんとか紛らわせる

理解してくれない親に腹を立てて、
深夜まで掴み合いの喧嘩をする

理解不能な自分の行動を止められずに、
携帯料金30万円の請求がくる

私は、本当にこんな自分が嫌いで、ただただ終わりのない
不登校生活に絶望していました。

抜け出したいけど、動くのが怖い。まさにブレーキとアクセルを
同時に踏み込んでいるような状況でした。

「もういい、俺は1人で生きていく。どうせ、
誰も助けてくれないし、みんなと関わりたくない」

心の底からそう思っていました。

そんな自分に対して、親も最初は
「学校に行かせなきゃ!」
「ちゃんとした道に戻さなきゃ!」

という思いで関わっていましたが・・・

ある時から関わりに変化がありました。

「私のペースを尊重してくれました」
「学校が全てじゃないと言ってくれました」
「私のやりたいことを叶えてくれました」

日々、腹が立つこと・不安に思うことも
あったと思いますが、本当に粘り強く
関わってくれました。今でも感謝しています。

また、このタイミングで通信制高校にも入学し、
そこでも嬉しい出会いがありました。

誰よりも卓球に向き合い、全国大会に行った後
推薦で大学に行った先輩

中学の勉強からやり直しをして
薬学部に行き、薬剤師になった先輩

かつての嫌だった記憶を払拭するように
努力し、国立の医学部に進学した同級生

自分の絵の才能を伸ばし、楽しみながら
美大に行った同級生

かつて不登校だった人たちが自分のやりたいことを
見つけ、進んでいる。

そんな姿をみて自分に問いかけました。
「自分は何がしたいのか?」
と・・・

その時出てきた答えが

「かつて自分が苦しんだ不登校で悩む人を減らしたい」
「自分が嫌だった学校を楽しくできる教師になりたい」

でした。

そこからは本当に早かったです。偏差値30代の科目もある状態での
スタートでしたが、死に物狂いで努力をしました。

高3の6月時点のマーク模試

不登校で苦しむ子どもを減らしたい
不登校から逆転する姿をみんなに見てもらいたい
不登校から学校の先生になったらおもろいな笑

ちょっと変な思いも混じっていますが笑
当時のひまわり先生は真剣に勉強していました。
「ここで人生変えるんだ!」という強い思いで、進んでいました。

1日12時間勉強を毎日継続する
風呂の中でも参考書を手放さない
英語の長文を聞きながら寝落ちする

この時、初めて当時の母親に「あんたそんなに勉強して大丈夫か?」
と言われました笑
その結果、地元の国立大学に合格しすることができました。

大学進学後も本当にたくさんの経験を積ませてもらいました。

ボランティア先の通信制高校で哲学の授業を半年間する
不登校の子どもに向けて家庭教師をする
不登校・引きこもりの人に向けた自立支援をする

たくさんの経験を胸にひまわり先生は卒業しました。
あの時の問いかけから5年後。
当時夢だった学校の先生は現実のものとなっていました。

「不登校でもここまでやれる!」
「これでようやく学校に行けない子どもの力になれる!」
「不登校の子どもたちに寄り添おう」

そう思い、6年間教員として駆け抜けてきました。

本当にたくさんの素敵な子どもたちとの出会いがあり、
「教員として生きていくのも悪くない」
そう思っていました。


卒業生を出した時のひまわり先生

しかし・・・
今後の人生を変える出来事が起きました。

自分のクラスから不登校が出たんです。

正直に言います。
6年間の教員人生。クラスから不登校が出るまでは、
「自分が苦しんだ不登校で悩む子どもを減らしたい」
という思いは忘れていました。

日々の忙しさに自分の気持ちはどこかに置いてきぼりになっていたんです。
「そうだ・・・自分は不登校をどうにかしたくて教員になったんだ」
かつての熱い気持ちが再燃しました。

子どもをクラスに復帰させた後も
この熱い気持ちは止まらず、自分に問いかけました。

何をすれば不登校の親御さんに支援の手が届くんだろう?
もっと身近で深い関係を築くためには何ができるだろう?
困った時に、すぐに相談できる環境は作れないだろうか?

色々考えた結果、「ひまわり先生」として発信をすることにしました。

ひまわり先生

発信を続けていくと、本当に愕然としました。
「こんなに不登校で悩んでる人が多いのか・・・」
学級担任として過ごしていては、気づかなかった世界が
そこにはありました。

そんな中かつての母親の姿を思い出したんです。

私が不登校の時・・・

私に隠れて泣いていました。
父親と夜な夜な悩んでいました。
勉強会に行き、僕を理解しようと必死でした。

「子どもが苦しんでいるように、親御さんも困っている」

その事実に気づいた時
もう迷いはありませんでした。

「教員を辞めて、不登校で悩んでいる親子のために生きよう」

自分のそうした思いに導かれるように、退職を決意し、
何の保証もない不登校支援の世界に飛び込みました。


不登校支援のコーチとしてのここまでの道のりは
決して楽な道のりではありませんでした。

正直、思うように行かなくて不登校の時のように
眠れない夜を過ごすこともありましたが、、、

「元不登校・元教員の自分だからこそ
今悩んでいる人に伝えられることがある!」

そう信じて、ここまでやってきました。

そしてこの1年間、ひまわり先生として
たくさんの人と関わり、不登校支援をしてきました。

不登校支援をしていく中で、支えとなる存在は本当に必要だなと感じています。

親御さんたちは実はすでに力を持っています。ただ、日々の迷いや
不安からその力を発揮できずにいる。そういう人を見ると・・・
ひまわり先生は「もったいないな〜」という気持ちで
いっぱいになります。

だからこそ、誰かと一緒に歩んで、自分自身に自信をつけて
不登校と向き合ってほしいなと思います。

「もがき、苦しみながらも誰かの力を借りつつ、進もうとする
そのお母さんの姿」
こそが不登校克服に繋がる一つのピース
なんです。

「自分にできるかな」と不安に思っている人も大丈夫。

「変わりたい」「子どもから憧れられる母親になりたい」
そういう思いがあれば十分です。

人はいつからでも、変わりたいという思いがあれば、
変わっていけます。


今までの経験をフル活用し、不登校で悩んでいる
親御さんの力になりたい。
親御さんがしんどい時にエネルギーを与えられる
そして、寄り添えるコーチでありたいと思っています。

不登校という言葉が日本からなくなるまで全力で進み続けたいと思っています。
ここで出来た縁が次につながっていくと嬉しいです!

必要な人に私の思いが届きますように

最後まで読んでいただき本当に感謝しています。

最後にひまわり先生が好きな言葉を贈って終わります。

〜どうせ上手くいく〜

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