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私にとっての「愛」

まだ若いころは、どこかに自分とぴったりくる何かをもっている人がいて、そして、その人と、「私たちって、○○だよねー!」という共通点でもって、仲間意識をもって存在するような人と愛を育んでいくものだと思っていた。清少納言が、『枕草子』で言っている、「同じ心の人と」というような。

どこかで、その誰かに会うために、もっと言えば、周りとの差異や違和感に苦しんで、その誰かに会うために受験したのではないか?と思っているくらい、どこかにいるピッタリの人を捜し求めていた。

人との違和感にばかり目が行っていた。

でも、新卒で高校教諭になり、それまで、とんでもなく自分だけ異質の人間だと思って生きてきていたのに、結構相談にやってくる生徒たちの悩みを聴いていると、ああ、みんな、こんなにも同じ時期に同じような悩みを抱えてそこを通って生きていくんだなあ・・・、と思うようになった。

高校時代に付き合っていた彼と大学に入ってすぐ別れて、大学の先輩と、5年間の遠距離恋愛を含む7年の交際期間を経て、みんなの言うところの「大恋愛の末」、結婚した。それも都会育ちの私が、地方へ嫁いだ。転勤先として生まれ育った地元へ戻ることはあるかもしれないが、基本的には嫁に行った形になった。

結婚式を挙げ、その後は、恋愛結婚って、こんなものなのか・・・?と思わされることばかりだった。彼氏だった時にはまだわからなかった夫の仕事は、自分の仕事とは全く違ったし、その仕事に絡んでの住まいも、独特の文化があった。それに夫から、夫の家族との付き合い方や住まいでのあり方について、まるで○○したら○○になるから・・・、というように、自分の良い部分を出さないように、ほかの人を立てるように、というような、規制のかかった注意事項めいたものがあった。

それなら、結婚前に教えておいてほしかったな、と正直思った。

どちらか一方にだけ都合のいい結婚なんてないし、それを言われたりされたりしたら、私たちが困るから、それはやめて、ということなら、それは相手の良さを殺すことになる。

最大の理解者だと思っていた夫から言われた言葉に、私は正直泣いてしまった。

それから、すぐ身籠った。

体調不良が続いたが、遠方に来て身体が環境に合わないのだろうと思っていたら、お腹に赤ちゃんがいたのだった。

超音波で初めて見た赤ちゃんを、私はすくいだして、その場で抱きしめたい気持ちになった。

お腹の中に宿った赤ちゃん。正直可愛かった。

それから、私は夫と、夫につながる人たちを愛する努力をすることになった。

夫は彼氏の時の夫とは違った。企業戦士の夫には夫なりの生活がある。結婚というものを甘くとらえていたのだろう。甘い気分など全くなかった。ただ周りだけがしあわせ、という言葉を使った。結婚というものは苦労だ、という人生の先輩方の言葉だけが確かに実感を持ち出した。

でも、赤ちゃんが可愛かった。

とにかく10か月お腹にいて、私たちはいつもつながっていた。なんとしてもこの子を守らなければならない。

この子の父親だから、そうしておばあちゃんだから、おじいちゃんだから、おばちゃんだから、仲よくしよう、大事にしよう、そうして愛そうと努めた。

それからかな、愛するというのは、実は最初から愛が存在するのではなくて、努力をして構築していくものだと思ったのは。

最初から愛なんてない。どこにもないと言っていいかもしれない。

でも、生まれてきた赤ちゃんは違った。

生まれてすぐに、なぜ知っているのだろう・・・?私のことをお母さんだと知って、安心して甘えている。

それに、子どもというのはよくしたもので、どんなに至らなくても、母は母である。一番慕ってくれるのが、自分でもおかしかった。

生まれてきた子どもは、本当に可愛かった。下の息子も、姉に比べれば、生まれたときから実に図々しく甘えていたけれど、本当に、これは自分のママ、とどうしてわかるのか甘えていた。

ママだから、なのか、それとも一番身近に世話されているからなのか、本当に子どもは母に懐いている。それが不思議だと言えば不思議だった。無条件にこれだけ愛し愛される関係になるのだなあ・・・、となんでか不思議に思っていた。

さて、少しずつ社会復帰しだして、予備校勤務になったころ、まだ子どもたちは、目の前にいる生徒たちの年齢には及ばなかったが、娘時代に教えていたのとは、気持ちが全然違った。

この子たちの後ろには、この子たちを、自分が自分の子どもを思うように、大切に思っている親御さんがいらっしゃる。

思わず知らず、指導に力が入ってしまった。

そして、その頃には、生徒に、

愛されたいなら、先に愛することね・・・。

などと、古文も教えていた関係で、愛について語ることが多くなったし、古文の中に登場する男性たちに、「あんたが、こんなことするから女君が大変な思いするのよ!」と実感のこもった表現で語り、「でも、そうしなければ物語にならないし、面白くはならないわけだけどね・・・。」などと語っていた。

愛されたかったら、先に愛する・・・。

そして、愛しているということがわかるだけの行動をする。

それが子育てを通しての私にとっての「愛」というものについての結論である。

そうして、生徒さんと接していてわかったのだけれど、私は、ついつい自分の生徒さんになったり、そうでなくても縁のあった人を愛してしまいがちだし、それを表現するタイプのようである。

愛情深い、ともよく言われる。

昔は、鋭い、の、敏感だのと言われた私が、いつの間にか包容力のある、愛情深い人ということになっている。

これこそ、愛の力。ある意味、長年かけて習得してきた愛する技術のなせる業だと思っている。

誰にでもいいところはある。誰にでも尊敬できるところはある。その部分を拡大解釈して、虫眼鏡で大きく引き伸ばして、その部分だけをたくさん見つめる。

もちろん、そんなことしてはいけない人も例外的には存在するのかもしれないけれども・・・。

「愛」は大切な人のためにできること。その人のためにだったら、頭を下げることもできて、我慢することもできて、自分のことを犠牲にしてでも守りたくなるような、そんなものだと思う。

だって、母親としての自分は、結構頑張ることができたと思うから。

でも、そのためにほかの人を傷つけるのだとしたら、それは本当の愛ではないと思う。

我が子可愛さに、よその子はどうでもいい、という親の姿を見て、それを美しいとは思えないだろうから。

人も良し、我も良し。

でも、自分がどんな自分であっても愛してくれる・・・、そんな実感があれば人は生きていける。

生まれたときに、そんな親に育てられたなら、その後は何とでもなるような気がしている。

自分の子どもたちがどう思っているのかは、この際別にして、私は勝手にたくさん愛してきたと思っている。


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