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たった一言でいいんだよなー。

ある日、ある人が、

あなたは、たった一言が欲しいのと違うかなあ・・・、と言われた。

けど、たぶん、その言葉は一生もらえないと思う。

でも、今日、ちょっとまたやってしまった。

その言葉がほしくて・・・。

何十年、その言葉を欲してきただろうか?

だから、私は子どもたちにも、生徒さんたちにも、まあ、そのほかの大人にもかな?その一言を忘れずに言うようにしてきたのである。

何かしてくれた人に労いの言葉を掛けたい。

何かしてくれた人は、見返りなど求めていない。でも、それがあまりにも当たり前になってしまったら、そうして、仮にモノやお金などの対価になるものがあったとしても、そのことに込めた自分の想いに、ちょっと相当する何かが欲しくなるのだと思う。

それは、何かを受講している先生かもしれない。もしかしたら、対価を支払っているのかもしれない。でも、その準備や、見えないところでしているその仕事への想いは、私たちには図りしれない。

もしかしたら、何100キロという距離を車を走らせることかもしれない。誰かへの想いを込めて、その距離を一生懸命車を走らせているのかもしれない。お昼かもしれないけれど、真夜中かもしれない。

もしかしたら、そのお家の役に立とうと努力している若い奥さんかもしれない。お嫁に来たお家に役立ちたくて、一生懸命努力しているかもしれない。

誰か大切なひとのために、どこか人知れず努力している人の、その誠意には、気づく自分でいたい。

せめて、自分が、その一言をもらえない、と思い詰めているのなら、自分だけは、その一言を言える自分でありたい。

日々、若い人たちの、想いに気づける自分でいたいし、自分が学ぶ機会をいただいている方へは、忘れずに感謝の言葉を言いたい、と思う。

間に合ううちに・・・。

私には、思い切り感謝の気持ちを伝えたかったのに、何もしてあげられなかった、その想いだけをいただいて、そうして知らない間に失っていた人がいるから。いつか、お返ししようとしていたのに、知らない間に居なくなっていたから・・・。

今日、むなしい努力をして、またまたその言葉を欲しがって、そのことを言ってしまった人に最後に言ってしまった。

もし、私が今、死んでしまったら、後悔すると思わない?

あれだけ言ってほしがっていた言葉を私は言ってあげられなかった、って。

と訊いたら、たしかにそうかもしれない・・・、と言われた。

では、なぜ言えないのか、私にはわからない。

なぜなら、私はさっさと謝りもすれば、誰かが何かをしてくれたら、さっさと気付いて、言葉を掛けるようにしているから。それでも気付かないこともあるのだろうなあ、と思う。

感謝の言葉だけは、早めに行っておくのがよさそうである。目の前の人は、いつさっさといなくなるかはわからない、ということを私は、数年前に気づいて、そうして、ものすごく泣いたから・・・。

言いたいときには、その人はもういない、ってことは、きっとわりにあることなんじゃないかなあ、と思う。


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