ベジータ

Tシャツ1枚では少し肌寒いある日、
僕はコーヒーチェーン店のレジの列に並んでいた。
僕の前には、4、5歳の男の子を連れた女性が並び、その前では、中年の男性がコーヒーを注文している。

「うーん、アイスでいいよな」
僕は、今日もまた夏を引きずって、
アイスコーヒーを飲むことに決めた。
そして、アイスコーヒーを買うためのクレジットカードを財布から取り出した。

財布から目線を戻すと、前に並んでいた4、5歳の男の子が振り返って、僕と目が合った。
言いたげな表情をしているので、
こちらも少し微笑み返した。
こんなことは滅多にしない。彼にだけの限定の表情だ。

男の子は、左手でお母さんのスカートを掴みながら、右手に持ったドラゴンボールのベジータのカードを僕に見せてきた。
いいでしょと言わんばかりに、目を輝かせている。
カードは、白色の照明を反射させて、キラキラと光っている。
そして、ベジータは、こちらを睨みつけてながら、何やら、かめはめ波を準備中のようだ。

僕は「かっこいいね」と、お母さんに聞こえぬくらいの音量で言った。
男の子は、聞こえなかったのか、返事はしなかったものの、引き続きにやにやとこちらを見ている。
ベジータも僕をにらんで、いよいよ照準を僕に合わせている。

すると、お母さんが気づいて振り返り、「すいません」と会釈しつつ謝ってきた。
「いえいえ」と会釈して返した。
同時に、男の子も前を向いてしまい、ベジータも攻撃を中断した。

僕にも何か自慢できるカードがないか考えてみた。
ニヤニヤしながら、赤の他人に、見せびらかしたくなるカードはあるだろうか。
思いついたのは、クレジットカードや学生証、近くのスーパーのポイントカードだった。

お母さんがコーヒーとオレンジジュースを注文する間、
この男の子のように、他人に自慢できる物が僕にあるだろうかと考えていた。

僕の財布に、ベジータのカードはない。
あるのは、僕が生きるためのカードだけだ。
いや、むしろこうかもしれない。
彼にとっては、ベジータのカードが、
彼が生きるためのカードで、
クレジットカードもベジータのカードも、
どちらも僕と彼が生きるのに必要なのかもしれない。

だとするなら、彼と僕の違いはなんだろう。
年齢という当然の違いを無視しても、
彼と僕は、あまりにも違いすぎる。
では、彼と僕とで同じところはどこなのだろう。

そもそも、僕はいつからベジータのカードではなく、クレジットカードを財布に入れているのだろう…。
あ、そういえば、あのベジータのカードは、どこで買ってもらったんだろう…。
僕はこれからどんなカードを持つのだろう。

「…?」
「あ、小さいので。」

「ホットでよろしいですか?」
「あ、はい。」
僕はこうして秋を迎えてしまった。

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