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龍の輪02-1/動物寓意譚 vs 博物誌

『ドラゴン』でググると大量のドラゴン画像が出てくる。多くはゲームモンスターとしてのドラゴンだ。その中で僕の心を捉えたのは『 動物寓意譚/Bestiary 』『 博物誌/Naturalis Historia 』だった。

動物寓意譚は中世のヨーロッパ人の動物に対するイメージを、キリスト教の価値観で均す試みの一つだったようだ。例えば狼を崇める人たちと、蔑む人たちが酒の席を共にしたとしよう。「あなたは狼のようだ」と褒めたつもりが、侮辱と取られて無用な争いが起こるかもしれない。教会はこの世に平和をもたらすために、イメージの世界を支配する必要があると考えたのだろう。・・・多分。とにかく動物寓意譚に登場する動物たちは素朴でありながら華やかだ。修道士が修行として描いたのだろうか?ものすごくキャッチだ。

博物誌は科学的に世界を捉えようとしている。・・・が、実物や剥製を元に描かれた動物たちの隣に「伝聞だけで描いています」と注釈された怪物たちが平気で並ぶのだ。それらの版画は骨格があり、デッサンがあり、つまり上手い。アカデミックだ。

実在動物と幻想動物が混在した図鑑!こんな図鑑は現代ではなかなか見ない。しかし、僕たちの頭の中はどうだろうか?僕はインドのベンガル虎をイメージできる。しかし、ベンガル虎の正確な習性は知らない。僕は『モンスターハンター』のティガレックスをイメージできる。そしてティガレックスの行動パターンを正確に把握している。さて、僕にとってベンガル虎とティガレックスは、どちらの方がリアルなのか?

こんな風に動物寓意譚と博物誌は、僕に色々なことを考えさる。

科学 vs 宗教
絵が上手とは? vs 絵が下手とは?
 とか。

しかし、ここはドラゴンの話に絞ろう。博物誌のドラゴンは、足が四足ではなく二足である以外、まぁ僕のイメージするドラゴンだった。問題は動物寓意譚のドラゴンだ。獣顔なのだ。毛が生えているのだ。翼が鳥の羽なのだ。それも一点二点の特殊な図画だけが獣顔鳥翼なのではない。たくさん出てくる。つまりドラゴンのイメージが二百年くらいで描き変わったのではないか?もちろん、博物様式では爬虫類風に描き、寓意様式では獣風に描くということも考えられるが・・・。

ここで思い出したのがティラノサウルスだ。僕が子供だった頃は直立していたが、次第に地面と背骨が水平になり『ジュラシックパーク』で、そのスタイルは決定的になった。今、直立したティラノサウルスを見たならば、恐竜というより怪獣と認識するだろう。

僕たちはテキストと画像によって頭の中を変えられてしまう。そこに学者と宗教者のありとあらゆる工夫がある。芸術家と政治家とビジネスマンの創意がある。人類の精神史がある。人類の精神史とは、人類が自分の精神に施した改造の跡のことだ。

追伸 ▼

今回の画像はググった画像を貼り付けた訳ではなくトレースした画像です。この作業がけっこう楽しいの。ちょっと中世の版画職人や修道僧になった気分がしますよ。動物寓意譚の塗り絵なんか商品になるんじゃないの?


掲示板で使えるモンスターアイコンが増えるよ。