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動物の様にただただ眠るのです

「光る君へ」を観るのが最近すごく楽しみ。時代ものって今まであまりみてこなかったものだけれども歴史を少し垣間見れるのも面白いし、歳を重ねてから自分に湧き出てきた楽しみの様にも思う。

昔の人々は、太陽と月明かりの元、今の私たちよりも遥かに五感を研ぎ澄ませて生活していたのではないかと思う。また、和歌や漢文を送る場面も出てくるのだけれど、言葉から相手の気持ちを汲み取るという事をよりもっと詩的に日常で交わしていたのかしら、と、スピード感を求められる現代とのギャップを感じるものまた良いものに感じています。

人生とは何だろう、と遥か昔の人々も考えたのかと思う。

現代の私もしばしばその様な事を考える事がある。


裕福で不安の無い住まいと仕事、老後を過ごせるのが理想的なのだろうか?

それもありだと思う。けれどそうじゃない人生、例えば毎日が不安でいつも何かを心配している、そんな人生もありだと思う。

良いも悪いも、正解も不正解もなく、ただただ自分にその様な事柄がある。それを受け止められるか、また、どう受け止めるか。

鳥の眼を持てた時に自分に起こっている事柄を初めて認識する事が出来、それを受け入れる事ができれば自ずと自然のサイクルに調和していけるのかもしれないと思った。


3.11の時から自分の制作のテーマとしていつも「自然」について考えてきていた。あの時20代後半だった私は「社会生活の中のありのままの自分」というサブテーマに絡ませて考えており、30代を過ぎてからはセラピストという仕事も相まって「自然治癒力」だったり「人間の身体や意識が持つ可能性」という様なことに興味を持ち始めた。

40代の今、私が思っているのは「自然=受け入れる、争わない」という事。まだ掘り下げ切れていないけれど、今日とある方とそんな話をしている時にそんな言葉たちが頭の中を過った。

後、頭にハックされるのではなく身体で考える事をする事、もっと動物的に生きる事かなあと思った。

食べたくない時は食べなくて良いし、具合が悪ければじっとしていれば良いのです。

そう思うけれどなかなかそうは出来ない自分がいてもどかしい。けれどそのような自分を扱っていける様になるのではないか、きっと日々の練習次第で意識は変わるはずだから。

意識が変われば身体も行動も周りも変化してくるはず。


色々と変化したいと思っている自分がいるのを最近ようやく認める事ができた。後はじわりじわりとどの様にその変化を進めていくのか、見定めて波に乗るだけだ🌊🏄


ありがとうございます!サポート頂いた分は今後の活動費に投資させて頂きたいと考えています。