自分の行動を変えてくれた他人の言葉。

 私は元々思い上がる、あるいは誇大妄想のようなものがなければ、行動は起こさないと思っています。ただ、そういった誇大妄想に近いものに対して、良く思わない人たちも居て、何というか、敵意のような発言というのをしばしば受け取ってしまうわけです。
 ただ、当時は何となくそういった言葉に気持ちが塞がってしまうことも多かったのですが、時間が経過しその言葉を思い出すことが平気になってくると、そういった言葉たちが自分の行動を変える指針のようなものになることがあります。
 たとえば、大学一年のときにサークルの先輩に言われた、ライトノベルのライトさについての発言がずーっと私の消費体験に対する劣等感とか後ろめたさを生んだという気がします。つまり、ある文化というものは必ずそれ以前の文化を参照しながら成立するものだということです。
 しかし今振り返ってみると、90年代からゼロ年代という私の思春期の終わりまでの時代というものは、急速に何を参照したのかということを忘れていったのだと思います。BUMP OF CHICKENなどは良い例だと思いますが、そういった歴史の忘却というものが果たして正しいのかというと思春期も後半に差し掛かった私には正しいとは思いませんでした。
 最近はそういうライトさに対する引っかかりは減った気がしますが。脱色、あるいは脱歴史化、漂白された文化の消費に対する後ろめたさと言いましょうか。だから、私は自分が思春期を含めてそれまでに消費したものをあらためて消費することに対するためらいのようなものが生まれてしまいました。思い出さないようにしていました。
 それにともなって私は歴史的に価値のあるもの、音楽でいえば名盤と呼ばれるものばかりを探してきては消費するということを繰り返していました。
 また、サークルの後輩に、どのようなジャンルを好きになるにせよ、最先端、あるいは最新のものに触れないのはおかしい、といった趣旨のことを言われたのも残っています。私の趣味のたいていは懐古趣味的なもの、たとえば歌謡曲のように自分の物心がつく前のものを探して消費していましたから。ただ、それからは自分の好きな趣味のジャンルに関しては古典的なものを探すことももちろんですが、最新のもの、あるいは比較的新しいものを探すようにしています。出来るだけ同時代的な消費体験というものを目指すようにもしていますが。