太平洋戦争、真珠湾攻撃
【真珠湾攻撃】
近代の戦争は、軍隊だけがするものではなく、総力戦による消耗戦が主流となっていました。総力戦とは、国家が一丸となって協力する戦争形態のことです。そのため、日本でも、国家総動員法が制定されました。国家総動員法の下で、民間人や企業は、強制的に軍事品の生産をさせられました。総力戦で、勝敗の決め手となるのが生産力です。当時の日本とアメリカの生産力の差は、10倍もありました。そのため、長期戦になってしまうと、日本には、勝ち目はありません。アメリカが、守りを固めてしまう前に、奇襲したのが真珠湾攻撃でした。その真珠湾攻撃を計画したのは、連合艦隊司令長官「山本五十六」です。
【空母】
山本五十六は、これからは空母の時代だとしました。空母を使った航空機による先制攻撃こそが、新しい時代の戦い方だと考えたからです。もともと、空母は、戦艦の補助的な役割を担うためのものでした。空母とは、航空機を運んで、飛ばすための船です。その航空機は、主に敵艦を発見するための偵察用として使われていました。敵艦を砲撃するのに、目視では遠すぎて見えないからです。それまでは、戦艦を沈めるためには、戦艦からの大砲攻撃が主流でした。航空機で、軍艦を沈めようとするのは、まったく新しい攻撃方法だったとされています。当時は、まだ航空機の歴史が浅く、そうした発想がなかったからです。
【南雲機動部隊】
真珠湾岸攻撃は、戦線布告のほぼ同時か、ちょと手前に決行されたので、アメリカ側は、油断をしていました。また、攻撃するとしても、東南アジアだと思っていたからです。真珠湾攻撃の日「軍艦が多く集まる」「月明かりがある」「晴れている」などの条件がそろいました。その実行部隊を率いたのが南雲中将です。南雲機動部隊は、350機という大量の航空機で全軍突撃しました。そのパイロットたちは、当時の最高レベルの技術持った、選りすぐりの精鋭たちだったとされています。
真珠湾は、ハワイのオアフ島にあるアメリカ軍の最高基地でした。ハワイは、太平洋のど真ん中にあり、本土からは離れています。そもそも湾という地形は、軍港に向いていました。湾の内側は、風が吹かず、波もないので、船を止めておきやすいからです。また、湾内は、責められにくいというメリットもあります。オアフ島は、地形を利用した難攻不落の要塞でした。島には、ダイヤモンドヘッドという山があります。その山全体が軍事基地になっていました。一般的に、山がある島は、基地向きだとされています。見晴らしの良い場所があれば、大砲を打つのにもってこいだからです。
また真珠湾は、水深が浅いので、魚雷が使いにくい場所になっています。魚雷というものは、低い位置から、絶妙な速度と高さで、発射しなければ当てることが出来ないからです。南雲機動部隊は、そうした真珠湾を想定して、鹿児島で難度の高い攻撃練習をしてきました。
【太平洋戦争】
真珠湾攻撃では、アメリカ軍の2400人が死亡し、戦艦4隻が沈められました。それに対して、日本軍は、ほぼ無傷だったので、いちおう大きな戦果だったとされています。しかし、一部では、失敗だったともされました。当初の標的だったアメリカの空母がいなかったからです。空母を取り逃したことが、後のアメリカの反撃につながったとされています。真珠湾攻撃の作戦は、十分に行き渡っていませんでした。山本五十六が、指示したのは、基地を再起不能にすることだったからです。真珠湾の「ドッグ」や「タンク」は、無傷で、港の機能を潰しきれていませんでした。それがアメリカ軍が、すぐに体制を立て直せた要因だったとされています。
山本五十六は、真珠湾攻撃によって、アメリカの世論が傾き、反戦ムードとなれば、有利な条件で講和に持ち込めると考えていました。しかし、真珠湾攻撃が、アメリカ国民を一致団結させてしまったとされていいます。当時のアメリカ大統領ルーズベルトも「リメンバー、パールハーバー」という反日プロパガンダを掲げ宣伝しました。真珠湾攻撃の結果、正式にアメリカとの太平洋戦争に突入することになります
つづく