できる/できない、ではなく、やるか/やらないか、でもなく、やるような人間かどうか、だった。だから、行動を変えさせようとするのではなく、考え方を変えさせなければならない。

こどものころはできるかできないかで判断していた。大人になって経験や知識がついてきたら、出来る出来ないではなく、やるかやらないかだと思うようになった。できるかどうかはやってみてわかることで、やってみることで今できないことがその先にできるようになる、というかできるようにするもんだ、とずっと思っていた。そして50も過ぎた頃にようやく、やるか/やらないかの先に気付いた。やるかやらないかではない。やるような人間かどうか、その人間自身が問題だ。

自分は頭のいい方ではないので、努力してできないことをできるようになってきた。できるできないではなく、できるようになるよう努力する。そんな風な仕事の仕方をしてきた人たちは、他人もそういうものだと思ってる。できないと言ってる部下や後輩に、ガミガミ言うのは、「君だって今はできないけど、やり続ければそれなりにできるようになる。行動しようよ。君はそれに足る人間なんだ」と認めているから。ところが部下や後輩はこんな上司、先輩を嫌う。まあ、問題は心より言い方の訓練が足りない人たちが多いことかも。一方「そうだよね、難しいよね」と理解を示すほかの上司や先輩に「なんてすばらしいひとなんだ!」と好意を示す。だが、いまならわかる。そんな理解ある上司、先輩の心の中は「君はその程度の人間なんだからそれでいいんだよ」ということだ。

不摂生をしている親兄弟、親しい人に、「もっと野菜をくって運動しろ」と言ってもやらない。できないわけではないからやればできると思ってガミガミ言う。が、わかった、そもそもやるような人間ではないのだ。例えば居酒屋で毎晩飲んだくれてる親父がジムでランニングマシンに乗っているところを想像できるだろうか。ほしいものは何でもクレジットカードで買って、支払いが大変とか言ってる人間が毎月1万円貯金するようにみえるだろうか。やりそうもない。

結局、できるできないではなく、やるかやらないかでもなく、やるような人間かどうか、それだけだった。やるような人間、やりそうもない人間であれば、そもそも人に言われなくてもとっくに自分でやってるしやめてる。
あー、これこそが「タマ」なのだ。

もっと早くに気付いていれば他人のために無駄なエネルギーを使わずに済んだなあ。それもそういう人間だった、ということか。

そういやあれだけ従業員に厳しかったユニクロの柳井社長がどっかのインタビューでにこにこわらって従業員にやさしい会社とか言ってるのを見たことがあるが、なるほどね。

中国にいた頃、大学生たちから「天天向上」という言葉をよく聞いた。「日々向上」
日本をこれだけ成長させてきた人たちが、にこにこわらってる。日本は終わったのだろう。

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