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#11 愛とは何か

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こんにちは。暇人 all the people の考えるラジオです。

今日も考えていきます。

さて、今日のお便りです。

Q. 愛とはなんでしょう?

壮大な質問ですね。笑

これに関しては絶対的な答えは存在しないという前提で答えますね。ねぇ、だって大昔から人類が議論し続けてまだ絶対的な答えが見つかってない問いの答えを僕が知ってるとは思えないですからね。

愛とは何か。

なんだか長くなりそうですが、考えていきましょうか。

そうですね、まずですね、愛という存在の性質は火に似てると思います。ファイヤーです、ファイヤー。どういうところが似てるかというと、存在を固定できないところ。この世の物質は全て化学式で表せるはずなんですが、皆さん火の化学式ってわかりますか?

例えば酸素だったらO2。水はH2Oですね。でも火って、水や酸素ぐらい身近な物質なのに、化学式ぱっと出てきませんよね。勘の言い方は既にお分かりでしょうか。火って物質じゃないんです。一見同じ形をずっと保ってるように見えるので物質と勘違いしてしまうんですが、火は物質じゃなくて現象

火を別の言葉で表すとしたら「可燃性の物質と酸素が反応して熱と光を出している状態」ですよね。小難しいですね。笑

そしてね、現象というのは時間の経過の中でしか存在できませんから、一部分を切り出して観察することができません。例えば酸素と木は物質なので固定できますが、酸素と木が燃えて発生する火という現象は、この世の時間を止めない限り固定して観察することができません。でも時間を止めると僕らが観察という行為をできないので、やっぱ現象から一部分を取り出すの無理なんですよね。

波も似てますね。ビーチに行くと波がありますけど、波って瞬間を切り取ると海水ですから、やっぱり波を切り出すことはできません。

こんなふうに、一見物質っぽいけど実は物質じゃないものって結構あるんです。

例えば「自分」というのもその1つだと思います。僕たちの体は物質ですが、自分という物質はどこにも存在しませんよね。そもそも固定できない自分という存在を、固定できるものだと思い込んでしまうと「あれ、何これ、思ってた形にならない、何これ」みたいに不安になりますよね。自分の形がはっきりしてないのは自分だけなんじゃないかみたいな。で、自分探しの旅に出たりするんですね。

でも自分探しの旅が無駄かというと、そんなことないと思うんですね。自分探しの旅から帰ってきた人に会うと、けっこう変化してたりするんですよ。旅に出る前よりも自分見つけてる感あるんですよ。でもこの変化って、ブラジルに自分落ちてました。みたいなことじゃなくて、様々な土地で色んな人や出来事に対して自分の感情や思考が動くことで、世界に対する自分の反応を繰り返し観測した。ってことだと思うんですよ。初めて波を見たときにはそれが波とわからないけど、何度も波を見ることで波を波と認識する。さらには色んな海岸の波を見ることで、波に対する理解が深まるじゃないですか。その感覚に似てると思います。自分という現象を様々な形で何度も体験して観測することで、自分への理解が深まっていった。という具合だと思います。

と考えると、愛は物質じゃなくて現象って言えると思うんですよ。

すっごい遠回りして本題に戻ってきました。笑

で、じゃあどういう現象かと考えると、自分が知らないことを考える時は、その対極にあるものを考えると、対極の対極としてその姿が見えてくることがあります。ということで愛の対極を考えると、よく愛の反対は無関心と言われますね。僕もそうじゃないかと思ってます。つまり無関心の反対が愛かもしれないということですよね。

じゃあ無関心とはどういうことか。無関心って、そのまま関心が無いってことですよね。関心がないっていうのは、嫌いとか苦手ってことじゃない。嫌いや苦手って感情を抱くってことは関心を持っちゃってますからね。YouTubeのアンチコメントなんか良い例ですよね。批判するためにめっちゃ動画見てる。その人をどう批判するかめっちゃ考えて、もうそれファンじゃんっていうね。

無関心。無関心っていうのは、そのものの存在を認めていない状態、認識してない状態。いや、自分の世界に存在させない行為。ですかね。存在はしてるわけですもんね。関心を持つか持たないか決められる状態にあるってことは、この世界に存在してることが大前提ですもんね。存在してなかったら関心を持たないこともできないですもんね。

無関心は、そのものを自分の世界に存在させない行為。
ってことは、愛はその対極なので、そのものを自分の世界に存在させる行為。
あぁ、良いですね、なんか近い感じしますね。

そのものを自分の世界に存在させる行為。
そのものの存在を認める行為。

うーん、どういう言い方がしっくりくるでしょうか。そのものの存在を認める行為。これ結構しっくりきますね。例がありすぎますけど、これまで世界で愛と呼ばれてきたような行為は全部当てはまるんじゃないでしょうか。どうですか?

抱き合ったりするのもめっちゃ相手の存在認めてる感ありますよね。
親子もそうですね、存在認めてる感ありますね。存在感ありすぎて迷惑に感じる時期もありますもんね。愛が強すぎると迷惑になる感じも一致してますね。

神様的な、神様は愛で包んでるみたいな感覚も、要は神様=創造主とか、天とか宗教によって色んな表現されますけど、自分がこの世に存在していて良いんだと思わせてくれるわけですから、それは神様の愛と言えるでしょうね。

あぁ、ちょっと今これ以上の言葉が出てこなさそうですね。いやー僕の脳みそがここら辺をゴールにしたがっちゃってるんで、ちょっと誰かのツッコミが欲しいですね。ツッコミのお便りお待ちしてます。真野くんツッコミお願いしまーす!笑

ということで今日たどり着いたのは暫定的な答えですね。

愛とはなんでしょう。

という質問に対して今出せた答えは、そのものの存在を認める行為。です。

皆さんは愛をどう考えるでしょうか。

ということで今日はここまで。

最後まで聴いていただいてありがとうございました。

暇人 all the peopleの考えるラジオでした。

ではまた。


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