いつか終わりがくることを
推しが卒業するとき、ファンの心情はどのようなものだろうか。悲観、諦観、苦しみ、戸惑い、怒りまたは後悔。それとも、卒業する当人の意思を尊重するのだろうか。私にはわからない。
3年前に「3年後この界隈が存在しているかどうかは難しい話である」みたいな言葉を聞いたことがある。そして、個人的に今現在も「3年後この界隈が存在しているかどうかは難しい」と考える。
人間は無限の時間を生きていない。生まれたら死ぬことが絶対に確定する。このめちゃくちゃに短い有限の時間にどう生きようが人の勝手である。従って、ただの個人の集団でしかないくそでかい界隈自体もいつ終わらせるかなんて人の勝手でしかないのである。
ということで、私たちは「いつか終わりがくることを心得て愛して」いく必要があります。
しかし、常に終わることを意識して推し事ができるほど世の中甘くはありません。そもそも終わりがくることを意識していたならば、推し事なんてできないのかもしれません。自分が熱中していることに対して「でもいつか終わるからなぁ」なんて思考が回るほど冷静ではないのです。
終わることを知った瞬間に冷静になるものです。
推しが卒業する。オタクはこの行き場のない感情をどこにぶつけて良いのか解らない。
しかし、これは必ず起こること。この世に絶対は無いがこれだけは必然であると。
そして、
Vtuberは引退や休止から始まるコンテンツである
Virtualな存在になること、即ちVtuberになることは、それまでのネット活動を休止あるいは減少させてから移行するケースがあります。極端な言い方をすれば、前世と呼ばれているモノを引退や休止してVtuberになることがあるということです。
こんなこと知らなくていい話なのかもしれませんが、逆算すると今のVtuberを卒業して別の場所に移るということも可能性としてはあるわけです。
Vtuberの界隈はニコ生主、youtuberや歌い手といったインターネットヒーローが築いてきた土壌の上に存在しています。あなたが昔見ていたニコ生主、今何してると思う?あなたの推しは何によって構成されたと思いますか?そしてこれから、推しが別のものになったとき、
あなたは推しの何が好きですか?
わたしたちに問われていることはこれです。あなたには推しのすべてを推す勇気があるか。過去、現在そしてその場から居なくなった未来。あなたは推しのキャラクター性が好きなのか。そこから生まれる関係性が好きなのか。その関係性すらも、前世からのツテだと知ってしまったら。
そう遠くない未来に、きっとVtuberの後世を語る日が来てしまうかもしれない。わたしは推しのすべてを推すべきとは言わない。知らないものは知らないままでいいし、知りたければ知るべきだ。
あなたがどう推し事を成そうが自由です。でも、それを周りの意見に流されないでほしい。あなたがしたあなたなりの推し事は、きっと間違いじゃないし正解でもない。
そんな感じでオタクの戯言でした。
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