ひろゆきとフローレンス駒崎弘樹の詐欺みたいな体験ふるさと納税はゴミカス


はじめに

ひろゆきとフローレンス代表駒崎弘樹は、嫁同志も含め家族ぐるみでつながりがあるようで、選挙のときも「あのひろゆき」がわざわざ駒崎弘樹の嫁の北区区長選挙を応援してました

駒崎弘樹もひろゆきも、このふるさと納税を一緒になって推してて、俺はこのふるさと納税がどうしても納得いかないので話が聞きたいとスペースを申し込んだのですが、ひろゆきにも、駒崎弘樹にも逃げられました

ひろゆきは「釣りを教えると一生食べられる。魚を与えると奴隷が作れる。」という考え方だったらしいんですが、それがフローレンス駒崎弘樹のおめぐみを宣伝するようになったのは終わってんなと思いました。

というわけで逃げられる前に、全く会話になってないけど駒崎弘樹が絡んできたツイート3つと、それについての僕の考えを説明したいと思います

※俺のツイート→駒崎の順で引用会話がわかるように全文読み上げ

①詐欺のような告知方法であること

この謳い文句をみて、きっとみなさんが昔は信じていた「赤い羽根募金」のように、「寄付したお金はこの子たちがクリスマスや正月のイベントを楽しめるお金に使われるんやろなあ」と思いませんでしたか?違います

チケットは企業に寄付させるそうです。おそらくですが寄付した企業は、寄付したチケットを節税寄付として処理できますので、実質懐が痛みません。えっでも、チケットが企業寄付で無料なら、じゃあこの寄付金って何に使うの?

ここに小さくわかりにくく、「他にも、こどもたちに体験を届けるための規格や管理、システム開発費、運用費、広報活動費 ”等” に使う」とありますね。なんにでも使えますね、実質自由経費ですよこれは

誰もが「この5000円でこの子がいちご狩り1回いけるんやなあ」と思って寄付したら!残念!年間数十億を公金から受け取っている日本最強NPO「フローレンス」、共同親権反対の「フローレンス」のポッケに入るだけでしょう!!!

②そもそもこの制度に救いはないこと

そもそもなんですが、この制度ってどう回すんですか。

駒崎弘樹がさっき企業からもらってきて配ると言っていたチケットは、野球、サッカー、美術館、博物館のチケットです

アホか!!!!!!!!!!!!!子供に体験を与えられない家庭に博物館や美術館のチケットを配ってなんになる!!!!!!!!アホか!!!!!!!!!

間違いなくゴミ箱に捨てられるか換金されるだけです。

じゃあわかりやすく、子供なら誰でも行きたいであろうディズニーランドのチケットだとしましょう。お前の家は貧困家庭対象だから、お情けで無料のディズニーランドのチケットがもらえたよ。これ、嬉しいですか?大人になってからいい思い出と思えますか?

体験を満足に与えられない貧困家庭の親は、休みを取って子供を連れていけますか?

現地でチュロスを買うお金は?ミッキーのヘアバンドを買うお金は?友達に買うお土産を買うお金は?すべて支援するのでしょうか?

それでも行きたいという子供もいるでしょう、しかし俺はこんなお情けで体験を与えることがなんの救いになるのか、むしろ貧しい人間を、こんな体験も得られないのか、このくらいの体験は人として当たり前なんだぞと、決めつけて施しを与えようとする、意地汚い差別のようなものに思えてなりません。

2ch時代の有名なコピペにこんな話があります

幼い頃に父がなくなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。
給料をもらった次の日曜日にはクリームパンとコーラを買ってくれた。
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。
俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。
母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で1人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われた。
帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは外のベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら
母は「母ちゃんバカでごめんね」と言って少し涙をこぼした。
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。
母も喜んでくれた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に1度だけ目を覚まし思い出したように「野球、ごめんね」と言った。
俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで言葉にならなかった。

この親子は、貧困家庭認定で無料の野球チケットを恵まれていたら良かったのだと思いますか?職場でもらったチケットが優待券ではなく招待券だったらよかったのにとは思いますが、「貧困認定限定の体験施し」だったなら、俺はそんなものは要らないと突き返したい。

家が貧しくても、親が与えてくれたものこそが大事であって、それを貧乏認定のおめぐみで汚されたくはない。

大阪府知事は万博に、大阪に住まう子どもたち全員を無料招待すると言っています。これならば学校行事等で対応もでき、平等な体験になると思います。

逆に、金があっても体験を与えられないネグレクトの子供はどうなのか。本当に、上から目線でろくに検討もせず、適当に思いつきで作ったほどこしを与える仕組みに金を出せと言うふうにしか聞こえない、ゴミクズのような施策だと思います。ふるさと納税ってことは実質税金ですからね。

俺が子供の時参加した、公民館などで開かれる催し物に来ていたのは、俺のような鍵っ子か、ど貧乏な家の子たちでした。恵まれた、金持ちの呉服屋の子とかは一度も見たことがない。

でも、別に負い目もなくみんなで遊んでました。平等に誰でも参加できたからです。あれが、貧乏な子と、鍵っ子の恵まれない子だけ楽しませてあげるからねと集められたものであったなら、俺は絶対に行かなかったでしょう。

なぜこんなクソみたいな施策にふるさと納税制度が使われているのか。

子供から貧乏を飲み込んで強く育つ機会すら奪い、口をあけて餌をねだるペットに育てようとでもいうのか。

腹が立って仕方がない

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