森哲平という田舎のアホなおっさんを例に「発言の正しさ」について

はじめに

インターネットをしていて、アホの相手をしていると必ずアホが振りかざす論理がある。それは「発言の正しさはその発言それ自体の正しさのみをもって論じるべきである」という言説だ。

もっと詳しく言うと、「発言者がフリーターやニートで10年の引きこもりであっても、発言の中身が正しければその発言は正しく発言者が大きな実績をあげた経営者であっても、発言の中身が間違っていれば間違っている」というものだ。

これ自体は正しい。そのとおりである。しかしそれは、「その正しい発言が皆の目に止まり、持ち上げられ、評価されたときに」「その間違った発言が皆の目に止まり、こき下ろされ、評価されたときに」成立するものにすぎない。

鬼滅の刃の感想にかこつけてクソうざい事を書いた田舎のおっさんについて

そもそもこの発言者は、古いアカウントで発言し続けてきたからフォロワーが多いだけのアカウントにすぎない。何度か見かけたことがあるが、かなりの確率でトンチンカンな発言をして叩かれていた。

本人のプロフをざっとみても、「2011年より徳島に移住。2015年から徳島市沖浜町にて私設の図書館や子ども向けプログラミング教室を運営している。」とある。ただの田舎のおっさんだ。

言ってる内容も上のまとめをよまずとも、抜き出した発言だけを見ても、鬼滅を読んだとは思えないアホ発言だ。「優しい炭治郎が無惨にだけ思いを馳せない」とか「無惨をみんなで叩くために自爆までする鬼殺隊は異常」といった話をしている。

「お前は炭治郎の家族を奪い妹を鬼に変えたのが無惨であることすらわかってないのか」「鬼殺隊は、本来なら平穏に才能を眠らせて生きるはずだった獅子や龍が、無惨という理不尽な悪に踏みにじられて、大事な人の幸せを守るために命がけで戦う存在である」とかいちいち言うことすら面倒なくらい、こんなことも読み取れないこの森哲平はアホだ。

俺はこの森哲平という人に「スカタン」というレッテルを貼っている。鬼滅に対してこんな話を出すような「スカタン」だからだ。だから今後なにかこの人が良いっぽいことを言ってものすごくバズっていたとしても、なんだまた「スカタン」かと眉につばをぬってから読みに行く。

その瞬間の発言のみで発言を評価する」というのはこの「アホな発言をしたやつにアホというレッテルを貼る」という行為の否定なのではないかと思う。

何故アホにレッテルを貼るのか

それはそれが効率がいいからだ。ツイッターで流れてくる発言をいちいち精査して読んでは居られない。それらはノイズにすぎないからだ。

だから、バズってたりした発言以外は大して頭を使わずに流し読みしている。真に受けるようなことはない。

前述の森哲平さんのような「その一点をみても頭の出来を疑うような大きく間違ったスカタンなことを言う人」は、レッテルを貼ってしまうほうが楽。

これは「その人の発言の信頼性が俺の中で損なわれた」ということであって、「信頼性のない人にいちいち深く読み込んであげる必要はない」ってことでしかない。

そもそも、発言が「常に正しい人」とか「常に間違ってる人」ってのはレアで、前者はものすごく頭のいい人であり、後者はものすごい狂人です。森哲平さんも多分正しいことを言うこともあると思う。たまに。

ただそれは、「壊れて止まった時計も1日に2回正しい時間を差す」という程度のものでしかない。そんなものにいちいち気を払うほど人生は長くはないので、人は「自分が許容できないアホ」には「アホ」というレッテルを貼る。

まとめ

本当に「正しいことを理解し、思考の末に発言できる」人間は、自然と持ち上げられる。評価される。少なくとも、読んで欲しい人は読んでくれるようになる。

つまり、「発言はその瞬間の正しさでのみ評価しろ」と詰め寄る無名の無能は、「偶然止まっている時計が正しい時間を差したのだから、正常な時計として評価しろ」と言っているにすぎない。相手にする必要はない。

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