推しにお金を使う上で気を付けていること

Vtuber界隈での「推し事」(※)には大きく2つある。スパチャとメンバーシップだ。
※推しに自分のリソース(主にお金)を割く行為。最近知ったが「お仕事」とかけているらしい。

とあるVtuberいわく、マシュマロで「スパチャしたのに名前を呼んでくれなかったのが悲しかったです」といった文句が届くらしい。
こういった感情を抱いてしまうのは危険な兆候だ。なぜならその人たちは自己承認欲求をお金で満たしてもらおうとしているからだ。

Vtuber界隈のみならず通常のアイドル業界にも恐らくあるだろうが、特定の個人ないしグループを「推し」続けることによって、
その人に「~のファン」という属性が付与されることがある。
最初はただ純粋にその人が好きだからSNS上でとりあげたのかもしれないが、いずれ「~のファンである自分」に自分の存在意義をまかせる人があらわれる。
そうすると「推し」が活動をやめることで自らの存在意義がくつがえされてしまうことになる。
この状態はもともとが不安定であるのに加えて、自らの手によるコントロールがほとんどできない。
だから自らの存在意義を「推し」にゆだねてしまう行為に対して、ぼくは強い危機感を覚える。

さきほど話題に挙げたクソマロの送り主は、これと似たような状況に在ると考える。
多くの人は自分の現状に何かしらの不満をもっているだろう。その不満の解消のいち手段として自己承認欲求を満たそうとする。
Vtuber界隈ではスパチャを投げてくれた人の名前とコメントをとりあげる文化がある。それを利用して自己承認欲求を満たそうとするわけだ。

ことはスパチャに限らない。
たとえばアイドル業界で「推しにプレゼントを贈ったのに、SNSなどを見ても使ってくれている様子がなくて不満を覚える」といったものもそれに該当するのではないだろうか。
Vtuber界隈のメンバーシップも自己承認欲求を満たす手段となりうる。
ただその人のコンテンツを余すところなく見たいから加入している人がいる一方で、
その人のファンであることによって一種の自己承認欲求を満たす目的で加入している人もいるだろう。

たとえば犬山たまきくんは郡道美玲先生に対して「コスパがいい」と批評したことがある。
※批評と批判は異なる。たまきくんは郡道先生に対して好意的な評価をしている。念のため補足。
スパチャに高い確率で反応してくれること、視聴者をよく覚えてくれていること、視聴者のTwitterまでチェックしていることなど。
だが、結局「コスパがいい」というのは「手っ取り早く承認欲求を満たしてくれる存在」として利用しているだけなのではないか、というのが正直なところだ。

少なくとも自分がそのような目的でメンバーシップに加入したりスパチャを投げたりしていることを自覚したら、その行為を止めたくなる。
自尊心が高すぎて虎になった山月記の主人公のような話だが、ぼくは自己承認欲求をお金で買うことを忌避している。
どうしても、キャバクラで高いお金を注いでその場限りの関心を引く中年男性がイメージされてしまうのだ。
自分がそれと同じであると考えるとものすごく嫌になる。

だから、特に自分が自発的にお金を使うときには「これは自己承認欲求を満たすためではないだろうか」というチェックが必ず入るようになってしまった。
この傾向に対して善し悪しを論ずる必要はないと思う。考えるべきは「自分がそれを許容するかどうか」だけだろう。

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