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父の記憶から

 父が亡くなって、もう少しで一年が経つ。がんを患い、難しい手術をして一命は取りとめた。ただ転移があったので、体調を整えつつ改めて手術を行なう方向で闘病していたが、肺炎が悪化してこの世を去ることになった。

 もし父がまだ生きていて、今のコロナ禍の中にいたらどうなっていただろうと考える。父自身もそうだし、自分もどういう思いでいたか。頻繁に面会に行く必要はなかったが、精神的負担を軽減するために定期的に病室に行く必要はあったと思う。

 また、肺炎というキーワードが今のコロナ禍と合致する部分でもある。わたしは父が息を引き取る前後、父の近くにいることができた。しかし志村けんがそうだったように、コロナで亡くなった人は家族が付き添わないまま火葬となってしまう。約一年前、父を送った身として、その近くにいないまま骨を受け取るだけというのは、かなりキツイ。いくら致死率が低いとはいえ、そういう思いをする人はゼロであった方がいい。

 話は変わって、NHKのウイルス関連番組をよく見ている。一昨日・昨日と2003年のSARS、2008年の鳥インフルエンザ当時の番組を再放送していた。どちらも日本では大流行しなかったので、それぞれ名前は知っていても当事者的危機感を自分は持っていなかった。しかし今コロナの渦中で番組を見ると、その実感は全然異なる。今になって思えば当時からしっかり受け止めておくべきだった・・・というのは簡単だが、実際はなかなか難しい。なぜなら今だってコロナ以外の課題が世界にはいくつもあるのに、それに目を向けようとしていない。もちろん課題の優先順位がとてつもなくコロナになってしまう現状を考えれば、それを言っても仕方のないことではあるのだが。

 いずれにしても、自分は、世の中は、今回のコロナ禍から何を学び、共有し、未来へ残していけるのか。そこが問われている。

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