【HILLOCK✖︎ミロアートラボ】220519ゴミの定義から
HILLOCKでアートの時間を担当してくださっているミロアートラボのミロさんより5月のレポートが届きました。
220519ゴミの定義から
【創造的な視点/既成概念と固定観念を超える/リスクとハザード】
たまたま商店街の食べ物屋さんから、ゴミとして捨てるつもりというプラカップの蓋を「ミロちゃんとこなら、ゴミにしないでなんか使ってもらえるかと思ってさ」と、譲り受けて持っていった日のこと。
部屋に入ると、M君がトコトコとやってきて言う。
「こないだ作ったの、ゴミになっちゃったよ」
この前のクラスで作ったダンボール制のゴム鉄砲を手にしている。
「ゴミに?どういうこと?」と聞くと
「ほら、もうここ壊れちゃったからゴミになっちゃった」と繰り返す。
「壊れちゃったんだね。そうするとゴミになると思ったのはどう言うところからなの?」
と返す。キョトンとしている。
「直したらゴミじゃなくなるのかなぁ?」
さらにそう続けると
「あ〜直したらゴミじゃなくなるって言うか、また使えるから、使えるならゴミじゃない」と言う。
「そっか。どうしたい?」
壊れた作品にちょっと目やってから
「直るかなぁ?」と呟いた。
そこで、その後、輪になってそうぞうびとみんなに聞いてみた。
「あのね、さっきね、M君がこないだつくった作品が壊れてゴミになっちゃったって教えてくれたのね。みんな、ゴミってどうなったらゴミなんだと思う?」
「使えないもの」
「壊れてるもの」
「役に立たないもの」
「意味ないもの」
「捨てていいもの」など
自分の思いを教えてくれる。
「あ!リサイクルできるもの!」とひとりの子が声をあげる。
「リサイクルできるってどういうこと?」
「リサイクルって、新くつくりなおすこと」
「分解して使えるもの取り出すこと」などと伝えてくれる。
「新くつくりなおせるとゴミはどうなるのかな?」
「新しくなるー」
「そう!新しいものになる」
ここで、持ってきていた「ゴミ」を手に取ってみんなに見せる。
「実はね今日ね、ゴミを持ってきたの。近所のお店屋さんがね、もう使えなくなっちゃって捨てようと思ったらしいんだけど、ミロちゃんとこでなら使ってもらえるかなぁってゴミをくれたんだよね・・・」
と、プラスチックドリンクの蓋を見せる。
「これ、何だと思う?」
「ルンバ!」
丸い形状からの見立てが始まっている。
「ケーキ!」
「工作の材料でしょ!」
「なんかのフタ!マクドナルド!」
マクドナルドのドリンクが言葉の先に見える。
すでにそれぞれが「ゴミをゴミだと決めつけずに、既成概念を超えた視点を持って創造性を働かせていることがわかる」
再度聞く。
「これゴミかなぁ?どうしたらゴミじゃなくなるかな?」
「なんかつくる材料にすればいい」
「ゴミにしなければゴミじゃない」
「工作に使えるからゴミじゃない」
そうなんだね。ゴミだって決めて見たらゴミだけど、見方を変えたらゴミじゃなくなるのかな。
ちょこっと、ギリシャ神話のミダス王の話を伝える。
触れるもの全てを金に変えたという王様。みんなのクリエィティヴィティーで、ゴミを変身させてあげらるかな〜?それができるとしたら、クリエィティヴィティーは世界を変える力になるんだよね。
(自分が世界に影響を与えうるひとりだと伝えたい。)
みんなの素敵なアイデアで、ゴミをゴミじゃなくせるかな?このプラカップの蓋からなんか考えて〜。
と言うことで、今日はゴミ問題にアートで変容を与えることに。
・プラカップの形状(◎)のポテンシャルをそのまま生かす発想をしようと試みるひと
(タイヤの車、キャンデー、コマなどなど)
コマは特にベイブレードを日頃からよく観察しているようで、かなり凝ったものをつくっていた。
・プラスチックが曲げれば曲がることに気がついて、折り曲げた形から発想するひと
(半円形でスイカ、餃子などなど)
・複数個を構成して新しい価値を見出すひと
(「これ、ひとり何個使っていいの?」と聞いてくれた子がいた。「何個使ってもいいよ〜」と応える。そこから、複数個でのアイデアへと結びつける子が出てくる。お互いのアイデアを観察して自分の制作に取り入れて互いに昇華していく。共同体としての<アイデアの共有のダイナミズム>があちらこちら生まれていく。)
・いくつかつなげて花形のバッグなど
・知っているおもちゃの形に見立ててそれを作ろうと取り組むひと
(ブンブンごまなど)
・異素材の組み合わせで、自分の中に今あるつくりたいものをつくるひと
(自分の内側と対話ができているひと)
・それらとは全く別に、今自分がつくりたいものに取り組むひと
(海が好き!スポーツカーが好き!を貫く。お話を聞いていくと、絵を通じてその時の体験が鮮やかにわきあがる)
今回は、プラケースが半透明だったので、なんとなく半透明〜白い素材を集めていった。そのため、加工が容易な素材が少なかった。
そのうちに、ヒロックにあった段ボールを使うひとが現れた。ダンボールカッターを使っている子に、与平さんが寄り添い丁寧に使い方を伝えていた。たが、クラスの最後の方で、手を滑らせて手を切ってしまう。
・今日は片付けも早めにして、じっくりと対話型鑑賞の時間を持つ。
対話型鑑賞をしつつも、みんながどこかで気にしているるのは手を切ったお友達のこと。
片付けを終えて、輪になる時間の時に、状況を丁寧に説明するみのさん。
刃物は手を切る危険性を孕んでいる。
実際に手を切ることもある。
大切なのは、「じゃぁもう危ないからカッターは使わせないようにしましょう」と取り上げる形のハザードを立てることではなく
「どう使うと危ないのかを学び、安全に使えるように。そして、またカッターにチャレンジできる心をつくること」と話すタックさん。
リスクとハザードという考え方。
小さいひとたちにとって、本当のリスクは何か。
以前レッジョエミリア市を訪れた際にも、NZのてファリキ実践園を尋ねた際にも、アトリエリスタは同じことを言っていたのを思い出す。
リスクは、挑戦しない気持ちを育てること。
失敗を恐れ危険なものやことを大人がはじから取り上げることこそが、成長の機会を逃すリスク。
そのリスクを取り除くハザードを私たちはつくらなくてはならない。
大切なのは、怪我をしたその子がまた、怪我をした道具を使おうと思えるようにサポートすること。安全に使えるようサポートすること。
とても共感できるアプローチだと思い大事にしている。
ヒロックの小さなひとたちは、リスクとハザードとは何かを自分ごととして感じ考えられる環境にいる。
今日は、ヒロックのあり方に学ばせてもらう回となりました。
みんなすでに豊かな創造性を持っている。既成概念や固定観念を超えて発想する視点や、新しい組み合わせで新い価値を創造する力を携えている。
そのことにしっかりと気づき続けていてもらいたいと願いながら、今月のヒロックアートラボを閉じた。
ミロアートラボ ミロ
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