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11月HILLOCK ART LAB

◎秋の公園へ

◎始まっていないようでいていつだって始まっている

◎自然に抗うように介在する人工と、それらへのまなざしと解釈

◎観客なのか作者なのか作品なのか

◎リソースと紛争と折り合い

◎これいい。もって帰れないからあげる。今ここの清々しさ。

◎じゃぁね〜ばいば〜い。今日の終わりが次への始まり。


自然と人工。自由と絶対観客。存在と時間、アートが自然に対して抗い安らうことが、ひとの脳に起こすこと。

自然の中でアートすることは、要素がモリモリ満載です


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◎秋の公園へ


今日はお天気もいいし公園で活動しましょうということで、砧公園で集合することに。

大きな陸橋を越えて公園に入ると早速、小さいひとたちの笑い声が出迎えてくれました。


遠くから「ミロさーん!」と声が飛んできます。


「ヤッホー」と受けます。


秋色をまとった公園の木々の枝の隙間におひさまが木漏れ日をさしてくれて美しい。小さいひとには公園がよく似合います。

キラキラとした木漏れ日に、あったかいいのちが尊く眩しく光って走り回っています。


さてと、リュックを下ろして、このたっぷりな自然の中に、色とりどりの紙テープという人工物を放ります。この砧という自然を舞台に、今日はどんな上演が立ち上がるでしょうか。私たちは今日もまた、目の前で起こる創造散歩を見届ける観客です。



◎始まっていないようでいていつだって始まっている


投げられた紙テープ。

黄金色の絨毯にパーッと紙テープの青いラインが描かれる様に「わーーー!」と声を上げたのは、蓑さんでした。

「いいですねーーー」と笑顔です。


小さいひとがやってきてミロが紙テープを投げるのをみています。

やりたそうに見えます。


「投げてみる?」と聞くと

「うん!!!」と大きな笑顔。


小さいそうぞうびとが次々にやってきて、次々に紙テープが宙を舞います。

色のラインが弧を描くものもあれば、テープの塊ごと飛んでいくものも。散ったテープを持って走るひとも。


アートはさあ始めますよと意気込まずとも、いつだって日常の中に転がってささやかに始まっていないようでいて始まっている。


◎自然に抗うように介在する人工と、それらへのまなざしと解釈


紙テープ投げが上手になっていくにつれ、公園の芝生が色とりどりに彩られていきます。

「きれいだねー」

「いいねー。楽しいねー」

「もっと投げたい。テープくださーい」(〇〇したいから、〇〇くださいとエビデンス付きでどうして欲しいかを伝えるヒロックの小さいひと)

という声に混ざって


「それで今日は何つくるの?」と聞いてくれたHちゃん。


「何つくろうか?何がつくれそうかな?」と返すと

「もうつくりだしてるよー」とS君。


「おうちみたいにしたい!」

「パーティーにしよう!」

「あの木の枝に引っ掛けたい」


としてみたいことが声に乗せられて次々に飛んできます。


どうやら、それまであった公園の木々や芝生といった<自然物>と、ミロが持ってきた紙テープとは扱いが違うようです。

ミロが持ってきた紙テープは、<アートする材料>として、<自然物>とは別の見え方で小さなひとたちに認識されていることがわかります。


とすると、自然の中に紙テープという<人工>が介入していくことがアートとなり得るのでしょうか。


しばらく見ていると、小さいひとたちは、木の枝や幹を表現の材料として使い出しました。

高い枝にテープを投げて

「家みたいー。テントだよ」というひと。

幹と幹をテープで繋いで

「部屋にしてるの」というひと。

そして、自分の体に紙テープをぐるぐる巻にして

「ミノムシ」と大きな笑顔を見せるひと。

紙テープを持って走るひと。

「見て見て〜風ができた〜」と大きな声が風に乗って飛んできます。


切り離されて捉えられていた公園の自然と紙テープが、徐々に混ざりあって、双方で表現として現れてきます。


◎観客なのか作者なのか作品なのか


公園を見渡すと、3種類の在り方があることに気がつきました。


・誰かがつくった作品を見る鑑賞者としての在り方

・作品をつくる作者となる在り方

・作品そのものになっている在り方


少し離れて活動を見守っているひと。鑑賞者として時々感想を教えてくれます。

表現の現場にガッツリと加わって制作をするひと。

<ミノムシ>や<風>のように自分自身が作品となっているひと。







それぞれが観客であり作者であり作品にもなる。その選択はそれぞれの判断により自由なのです。



◎リソースと紛争と折り合い


ミノムシ君がまとったたくさんの紙テープ。

「僕もやりたい!テープ頂戴!」とミノムシからテープを奪おうとしているT君。

人が持っている身につけているテープを引っ張らない約束をしていましたが、どうしてもテープが欲しいT君、ミノムシ君の巻いているデープを引っ張ろうとします。

ミノムシ君は嫌がっています。

「半分頂戴よ!こんなにいっぱいずるいよ」とT君。

いったんミノムシ君のテープを外して、半分分けようとしましたが、どっちが多い少ないと言い争いが起こりました。


気がつくと、あちらこちらで量に限りある紙テープというリソースをめぐって争いが起き始めていました。


「これは僕が先に使ってたんだよ」

「半分くれたっていいじゃないか」

「持っていったのは半分より多かったよ」


言葉がつよい、力がつよいひとがたくさんの紙テープを持っていきました。


「ずるい!そんなにいっぱい!僕も持って帰りたい!」

「えー!私だって持って帰りたいよ」と、束になった紙テープをめぐって小競り合いが起きています。


様子を見ていた蓑手さんが、「そのやり方で納得してるのかな?話してみたら」「お互いが幸せになる方法、どうやったらできるかな」と声をかけていました。


別の場所でも紙テープを引っ張りあっています。そうこうしているうちに、テープが切れてしまいました。

切れたテープを前に涙を滲ませてうずくまるTくん。


「Sがテープ切っちゃった」と言いながら、涙がこぼれ落ちてます。


「うん、切れちゃったね。何かサポートできることあるかな?」


聞くと首を横に振ります。


「切れちゃった」


切れた手元をじっとみながら再度そう呟きます。


じっと手元を見つめて涙を流すT君。

「結んでみるのはどうかな?やってみてもいい?」ミロが言うと、チラリとこちらを一瞥しました。


そっと、テープを手に取って結びました。


「つながったけど、、、どうかな?」と言うと、「そう言うことじゃない」とT君。


それをみていたM君が「使わないなら僕にちょうだい」と手を伸ばしました。


じっとM君を見て、テープを持つ手にぎゅっとT君は力を入れて握りしめます。


「M君、どうやら、そういうことじゃないみたい」

ミロ が口を挟むと

「えー、使わないならくれてもいいのにー」と言いながらも、掴みかけていたテープを、そっと放してT君の方に寄せてくれました。


テープを切られて、T君の心身に悲しみややるせ無さが湧き上がって満ちている様子が見て取れます。


じっと動かないのは、どういうところからでしょうか。

自分の感情をじっと感じている仕草に見えます。


しばらくすると、T君は立ち上がって、S君が木の間に張り巡らしたテープのひとつを手に取りました。

そうして、テープをゆっくりとちぎって切り込みを入れ始めましたました。


「テープ、切るの?」と聞くと、こちらを向いて、

「切りはしない。破るだけ」と、呟きながら、少しずつテープの切り込みを深くしていきます。


「このぐらいはいい」「これでいい」と呟きながら、ほんの少しずつテープに裂け目を入れていくT君の指先。


あとちょっとでテープがちぎれそうなところまで切り込みを入れると、その場所を離れて、T君はS君たちの様子を見ています。


T君が切り込みを入れたテープはゆらゆらと風に揺られていましたが、他の女の子が走ってきて、ちょっと触ると、T君が切り込みを入れてあった場所から、プツンッと切れて下に落ちました。


それを見たTくん、こちらももう一度チラリと見て

「これでいいや」と言いました。


T君が今、彼が考え実行できる自分なりの方法で、やるせ無さに対峙していた自分の気持ちに折り合いをつけたと感じました。


自分で自分の溜飲を下げていく。


T君なりの、あの時の全部を駆使しして感じて考えたその方法が、ささやかな「仕返し」だったわけです。


そのやり方が、好ましいのかそうでないのかは、本人が誰よりも「感じている」とT君の表情を見ていて感じました。


小さなひとたちの葛藤。やるせ無さとどう向き合って、どう対処するのか。自分の気持ちに折り合いをつけるということ。


その時々、また成長に合わせて、そのやり方を広げる環境がHILLOCKにはあります。


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「僕たちには言葉がありますから。力が強い人が勝つのでいいのか。どうしたらお互いが幸せになる気持ちや関係が作れるのか、お互いがどう折り合いをつけていくのか、その方法を考える力が彼らにはありますよね」


「T君なりのやり方だったんですね。彼なりの精一杯の今がありますね」


Non judgmentで起きたことを受け止めるHILLOCK校長の蓑手さんの言葉が心に残ります。

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この日はあまりにあちこちで小競り合いが起きるので、チームビルディングをしてみようと思い立ってみんなを集めて「人間知恵の輪」を試しました。

これは余計なお世話だったのかもしれません。それでも場のわちゃわちゃとした空気を一掃して別の空気に変えることには、ひと役買ってくれました。


その後は、公園の舗装された地面に画用紙を広げて「今日の活動を終えて、今心にあること」をクレヨンでアプトプットしてもらって、一言ずつアーティストトークで思いを手放してもらい、絵画作品を写真を撮って、今日はおしまいに向かいます。




◎これいい。もって帰れないからあげる。


それぞれのバッグを背負って変える準備を整え円座を組んで瞑想して、いざ帰路へ。その間に、ミロとゆにおで、紙テープを適当なサイズに分けて持って帰れるように準備をしておきました。


帰りの会を終えて帰ろうとする小さい人たちに

「紙テープ、持って帰りたい人はひとつずつどうぞ」と声をかけると、手に取った人も何人かいましたが


「もういいや。持って帰れないからミロちゃんにあげるよ」とポーンとこちらに放ったひとがいるのを見て次々に

「僕もいいや」とポーン。ポーン。「いっぱい遊んだからもういらなーい」とポーン。


さっきまで、奪い合っていたのに、10分後には気持ちが変わっている。


「今日も楽しかった〜。また来月ね〜バイバーイ」

大きな声で大きく手を振って帰っていく背中に、今ここに絶対的な興味を置く、小さいひとの清々しさのようなものを感じつつミロも


◎じゃぁね〜ばいば〜い。


大きく手を振り返します。

砧公園は夕暮れへと向かうおひさまが、キラキラとえこひいきなく全ての頬を撫でていました。


始まっていないようで始まっていた今日のHILLOCK ART LAB 、今日の終わりが次への始まり。


今日はことさらに、《折り合いをつける》という言葉が心に刻まれた砧公園を後にしたミロとゆにおでした。



また来月ね!

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