12/31 今年の振り返り

去年の今日は「2010年代アニメ映画BEST10」を決めるためにアニメを色々見返していた。今年はどうだったかというと、近所の人が亡くなったということらしく、救急車とパトカーが朝からやってきていた。玄関に黄色い「KEEP OUT」のテープが貼ってあった。実況見分が行われたあと、司法解剖に回されるそうだ。さて、年末らしく今年の振り返りをする。1年を3か月ずつ4つにわけたので少しずつ書いて行きたい。

1-3月 

この頃、2020年の秋から末にかけて授業の資料を読むのが苦痛になっていたピークで、全ての授業を辞めてしまったため2年後期の取得単位がゼロだった。あと、ちょうどnoteを定期的に書き出した頃でもある。この頃「全然遊ぶ人がいないな~」みたいなことを書いていたらnoteを読んだ人に遊びに誘われてこういうことがあるのかとびっくりした記憶がある。

あと、この時期は昼夜逆転も結構酷かった。あまり寒くなかったのか夜に外に散歩しにいくことも多かったのを覚えている。あと、夜はよく都内の大学や皇居やホワイトハウスに電凸したりしていた。たぶん誰かと話したかったのだろうが、「まぁ、夜だし電話に誘うというのも申し訳ないな……」と思ってそういうとこに掛けていたのだが、そういう人は情緒不安定になって泣きながら電話してたりするイメージがあるので、なんか自分で面白かった気がする。電気ケトルを買ったのでインスタントの飲み物を頻繁に飲んだりカップラーメンを作ったりするようになり、ストレスが溜まると余ったお湯を無言で布団に掛けたりしていたので、これはだいぶストレスが溜まっているなと思ったので昼夜逆転を治したいのもあって近所のメンタルクリニックに行ってみる。そこで、高校時代にADHDの診断を受けたことを話すと「え~?そんな感じじゃないですけどね。証拠あります?」と嘘つき扱いされ「まぁ、違うのかもしれん」と納得はしたものの不快だったので二度と行かなかった。この頃、朝になると公園に行って鳩に餌をやることにはまっており、電信柱に泊まっている鳩にパンを投げたりしていた。

先ほど定期的にnoteを書き出したというのを書いたが、それもあって「ライターとかやりたいなぁ」という思いがありインターネットでライター募集を探したところ発見、一度ZOOMで喋ったあとLINEで繋がった。しばらく音沙汰がなかったので縁がなかったと思っていたのだが、ある日LINEで「自分が手伝いで働いてる会社で学生のライターを募集してるんだけど興味ある?」というようなことを言われ、面接に行ったらその最中でそれがインターンだと知った。これで多少、規則正しい生活になれば良いかなと思ってそこの会社でインターンを始める。初めはインタビューの文字起こしや校正を行い、実際生活は多少規則正しくなる。

4-6月 

3年になり、これから巻き返して色々頑張るぞ!と思って大学の授業を毎日4つくらい登録した。また、大学内の有志で哲学や政治学の本を読む自主ゼミに参加し、あと文芸サークルを作った。この3つは後にすべて後悔することになるのだが、この時は謎のやる気と巻き返す意志があったので何も迷いがなかった。「後にすべて後悔する」の「後に」は3日後くらいのことなので、結構早々に後悔した。一つずつ話すと、まず自主ゼミは時間的にも内容的にも厳しかった。そもそも授業を異常に取っているのに、毎週難解な本をある程度のページ読んでくるというのはかなり無理があったのだ。そうして自主ゼミは徐々にフェードアウトしてしまう。

文芸サークルだが、この後悔が一番早かった。翌日にはもう後悔していた。サークルを作ったと言ってもTwitterのアカウント作成をしただけだったので、しばらくは「最悪これを消してしまえば逃げられる………」と思っていたのだが、なんだかんだ人が入ってしまったのでそれもやりにくくなってしまった。何人か入ってきた辺りでログアウトした。そのタイムラインを見るのもちょっと嫌だったからだ。その文芸サークルの掲げているコンセプトが「自分の嫌いなタイプのツイートをしている人が好きそうなもの」だったので、基本的にはそれに当てはまるような人をフォローしていったのだ。もちろんそうでない人もいたが……なので、最初にそのアカウントでフォローしていったのはリア垢でブロックしている人たちだった。タイムラインを見たとき、「どうしてこんな奴らのツイートを……!!!しかし、本を作る為には仕方ない!!!!」とか思っていた。その甲斐あってメンバーは10人ほど集まり、やはりその中にはリア垢でブロックしている人もいた。

授業の方はやはりあまりきちんと出られなかったので単位はやはり一つも取れなった。うちの大学では「一年に登録できる授業の数(取得単位問わず)」が決まっているので、3年前期にその相当数を使いきった癖に単位ゼロだった自分は、3年後期に登録できる授業の数が4つになってしまった。

これが2021年の前半だった。こんな風に書くとずいぶん暗かった印象になるかもしれないが、別にそんなことはない。

これらは当時書いていたnoteだけど、かなり面白い感じのノリだ。もちろん、面白くしようという意識はあったのだが、実際楽しい気分で書いている。

7-9月

夏休みに入る。この頃はコロナに入ってから結構楽しかった時期だった気がする。7月の頭くらいに、先述の文芸サークルのメンバーに「11月の文学フリマ東京に出店したいので寄稿希望者は10月くらいまでに原稿をお願いします」と伝え、自分でも色々と書き始める。大学が無いと気分が楽だなぁと思っていたが、大学のことを考えなくなるとコロナとかオリンピックについて考えるようになった。これもこれで大変だった。さっき紅白をラジオで聞いていたら「オリンピック選手が感動したものの一つに東京の夜景があった」という話があったのだが、それを聴きながら「五輪とかやるせいで「夜は外に出るな!店を開けん!!」とキレながら脅されなければもっと綺麗な夜景だったと思うけどな……」とモヤっとした。スポーツはいやだ!

というわけで、オリンピック期間はずっとBerryz工房のDVD magazineを観ていた。これがこの2021年後半を前半と打って変わって明るいものにしていく。現状は変わらないのだが、深夜の電凸も布団にお湯撒きもしなくなった。ずっとBerryz工房の曲を聴くようになった。


↑はBerryz工房のメンバー・嗣永桃子(当時12歳)のセリフだが、まさにその通りになったと思う。

また、夏は結構インターンでも自分で記事を書いたりインタビューに行ったりするようになった頃でもあった。ここで高校時代から知っていた批評系のライターの方にインタビューをすることになる。インタビュー後の雑談も含めて6時間ほど喫茶店で話し、今も作った同人誌を送るなど交流が一応続いている。彼へのインタビューは事前に会社のお金で著作を買い、徹底的に下調べを行い、インタビュー後の構成・校正・校閲もかなりじっくり集中して行い、個人的に今年一番時間とエネルギーをかけたことだった。結果的に生地が掲載されているサイト内で現在も人気No.1の記事であり、できて良かった。

夏休みには、自主制作映画の手伝いなどもしている。アウェー過ぎてヤバかったが、この頃の自分にはBerryz工房があったので大丈夫だった……!!

10-12月

3年後期が始まる。先述したとおりもう授業が四つしか取れないので、大学のスケジュールはわりと楽だった。この頃、学祭の準備などもし始める。今回の学祭でも大学当局は色々規制をかけようとしていたので、感染対策ガイドラインを準備したりと大変だった。秋は「学祭」と「文学フリマ東京」と二つも大きなイベントがあったので本当に忙しかったなと思いがある。ただ、二つやって思ったのだがやはり何かやりたい表現活動などがあるなら「独立して活動する」というのは大事だなというのは実感した。やはり大学のサークルというのは資金も場所も大学に握られているし、向こうの意向でどのようにでも出来てしまうのである。この点、完全に独立した団体であればそのような制限はない。今年、大学の漫研がコミケに出店しようとしたものの大学からの制限で叶わなかったらしいが、おそらく自分の創ったサークルが大学公認のものであればそうなっていただろう。無事にそうはならず、やっと完成した同人誌は印刷分を完売し、現在Boothにて販売中の増刷分もあと4冊で完売する。会場では実際にメンバーと会ったが、実際に会ったらとても良い人たちだった。

イベントといえば、30日は12時間労働休憩なしのバイトだった。労基的には最悪である。アイドル事務所はブラックだ。独立して自由に表現活動してるからって、自由過ぎる。

現在12:56なので、一旦締めたいと思う。年が変わったら、また「今年の方針」的な感じでまた書き始めよう。

というわけで、こんな感じの年だった。


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