1/6 映画『成れの果て』

最後に柊瑠美を見たのが『野ブタ。をプロデュース』だったから、


めっちゃ大人になってて驚いたぞ……。


今年最初に観た『成れの果て』は、「elePHANTMoon」という劇団の舞台を原作とする自主制作映画です。この舞台は観ていないのでどれだけ変わっているのか等はよくわからないんですが、基本的に同じ場所で物語が進むところとか、元が舞台と言われてなるほどという感じです。

この映画、ほとんど観客がいなかったんですよね。なので観ながら好きなだけ言いたいことを言えました。もちろん、そんなに大声ではないですが……。

主演の萩原みのり。ものすごい綺麗な顔をした人間に似たフクロウみたい感じがする。

萩原みのりの演技がとても良かったです。ずっと顔だけアップで写っていても全身写ったまま演技しているみたいなんですね。たぶん、ずっと顔がアップで写っていても画面が物足りなくなることがない役者なんだと思います。

この映画、冒頭で「は〜っ」と思いました。というのも、プリン食ってるシーンから始まるんですがそれが超美味しくなさそうなんですよね。不味そうってわけじゃなくて、全然美味しくなさそうなんですよ。

ただ、それは別に役者がいかにも美味しくなさそうに食べてるとかじゃないんです。口なんです。

プリンにスプーンを突っ込んでいるのが写されたあとに、食べている口から下が写るカットに切り替わるんですけど、この口のカットがあるせいでプリンが死ぬほど美味しくなさそうだという感じがするんですよ。

「うわこの口……マジで美味しくなさそう」と感心させられるような口のカット。この冒頭でこれは良い映画だと確信させられる口のカットでした。

「良い映画」と言いましたが、この映画は人を選びます。間違いなく。登場人物が悉く不快だからです。

登場人物が悉く不快なので、画面に人物が多いほど不快なシーンになるんですよね。中盤、作中最も不快な人物を含む四人の登場人物が会話するシーンがあるんですがここの不快感はものすごい。ジャンルが変わっちゃうんですよね。

というのも、一応この映画はリアルな現代劇のはずなんです。スマホとか出てくるし。ただ、ここだけ登場人物の言動があまりに不快すぎてなんか別の物語みたいな感じがするんですよね。不条理劇みたいにっていえば良いんでしょうか。僕たちの生きている現実とは全く違うルールの動いてる世界の人間が突然現れて不快な言動をするんですが、明らかにそれが不快だとは思っていない。ルールが違うからです。あのシーンはヤバかった。演じてる人が気になる……。

ラストシーンは柊瑠美の独壇場です。ここの柊瑠美はヤバい。観客はスクリーンの柊瑠美のヤバさから目を離せずにはいられない。しかし同時に、観客はその場にいない萩原みのりがどうしているのか気になってしまうんですよね。これが凄い。というのも、「その場にいないのにも関わらず萩原みのりのことが気になる」という現象こそ、劇中で柊瑠美を追い詰めた最大の要因だからです。そうして、観客がとどめを刺して映画は幕を下ろします。

関東圏ではもうどこでもやってないと思いますが(多分今日がラスト)、三月からまた埼玉で上映するみたいです……ぜひ。


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