1/7 千と千尋の神隠しと「名前」
今日は『千と千尋の神隠し』が放送していた。千と千尋に出てくる青蛙の真似をする人がちょくちょくいるけど、僕も真似する。千と千尋の神隠し、と言えば一昔前まで「国内映画史上興行収入第一位」と言われていたのだが、鬼滅の躍進で2位になってしまった。
鬼滅。とにかくものすごい興行成績をあげていたが、しかしあれのせいで最近のアニメ映画は興行収入の話ばかりされるようになった気がする。「〇〇は興行収入が××円!」「興行収入が鬼滅超え!」とか……。これを見るといつも、YouTubeのことを思い出す。YouTubeは今や再生数が命の世界だ。最近はとにかく「数」が重視されるようになっている。煉獄さんは何百億の男、要するにヒカキン。
『呪術廻戦0』を観に行こうと思っていたのだけど、「興行収入が〜」みたいなのを見るとげんなりしてしまう。オタクもオタクで悪い。自分の好きなキャラクターがヒカキンになって何が嬉しい。自分の好きなコンテンツが利益を生んでいるから凄い、みたいなのは個人的に好きではない。同じ理由で「オタクが経済を回している」論も好きではない。それが事実であろうと誇張でも良いのだけど、「経済を回している=偉い」という価値観はなんだかなぁと思ってしまう。「オタクは「一般人」に比べて経済を回しているんだぞ!」みたいなイキり方もよろしくない。
煉獄さんがヒカキンになるような社会で生活してる以上、好きなコンテンツの凄さや自分の属する層への差別的意識への反発として「利益を上げている」ことを出してしまうのは無意識だろうし仕方ないだろうけれど、なんでもかんでも社会還元が良しとされるのはどうなんだ、って感じだし、オタクが「一般人」より優れているとしても、それは「我々のような鑑賞眼や感性の良さを持たない一般人は楽しめるコンテンツが少なくて可哀想だな〜w」という風にイキるべきで、経済に貢献してるから偉いとかではないだろうと思う。
千と千尋といえば、今大人気のひろゆきが昔インターネットの番組で
「どこら辺が面白いかわかんないから面白くない、例えばもののけ姫だったらテーマがあって、見たことない世界があって、生きるとは何かとか自然と科学の対決とかある訳じゃん?千と千尋には何があるの?親が動物になってさー、よくわからないところ行って助かりました~、みたいな。何も解決してないし、何も残らないじゃん。映画を観たことで知識とか、考え方が変わるとかそういうの何も得られないじゃん。」
とかと言っていて、こいつは映像を楽しんで映画を観るというのが無いのか……と思った。ちなみにひろゆきは「千と千尋よりナウシカの方が面白い!」と言っていた。めっちゃ2ch管理人っぽくて良い。
2chといえば匿名性だが、千と千尋も「名前を奪われる」ことで始まり、「名前を取り戻す」ことで終わる話だった。どうして名前が自分の元にあることがそんなに重要なのだろう、と考えたとき、日本の死生観と名前の関係が浮かんでくる。
日本の墓は「〇〇家」と名字だけが書いてある。死んだらその家の人はその墓に入る。それは「〇〇家」と一体化することであって、自分の名は消えてしまう。欧米のようにフルネームが書いてある墓とは違うのだ。昔から、日本には死ぬと名前が消えて祖霊と一体化するというような考え方がある。個を失うのだ。エヴァの人類補完計画みたいなものだと考えてもらえるとわかりやすいと思う。
おそらく、漫画『デスノート』の「死神のノートに名前を書かれると死んでしまう」という設定もここから来るものだろう。デスノートに名前を書かれる、というのは死神に名前を奪われるということなのだ。
Facebookが日本では海外ほど流行らない、というのも同様の理由かもしれない。Facebookというのは基本的に本名でやるものだ。日本では「インターネットに名前と顔がバレると終了」という雰囲気がある気がする。だから流行らないのだろう。
これも、日本独特の名前にまつわる死生観があるからじゃないか、と思っている。基本匿名な2ちゃんねるという掲示板は、とても日本人向けのサービスと言えるのだろう。これを作った管理人のひろゆきは、やっぱり凄いのかもしれない?
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