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シュタルケルのバッハ「無伴奏チェロ組曲」。理想の演奏に出逢う。

クラシック音楽に於いては、同じ曲でも演奏者や指揮者により全く別物の楽曲となる。
好きな曲ではあるが、では誰の演奏が好きか、と訊かれると答えに窮する曲があり、その曲を聴くたびに隔靴掻痒の思いに囚われる。

例えば、バッハの「無伴奏チェロ組曲」。
名曲であることは論を俟たない。カザルスがこの曲を再発見したのち、多くの演奏家により録音されており、日本人にも人気の高い名曲だ。
しかし私は40年以上前にカザルスの演奏をレコードで聴いて以降、今までにどの演奏を聴いても「何かが違う」との思いを拭えずにいた。
ロストロポーヴィチ、ビルスマ、フルニエ、ヨーヨー・マ、、、多くの名演奏と評価されている録音を聴くにつけ、「このパートはこう言う節回しで奏でて欲しい」「そこはもっとフォルテを効かせて」等々、ど素人なりに自分の思い描く理想のフォルムとの乖離を感じ続けていた。

先日、遂にこの乖離が解消される思いをした。

シュタルケルが1963年に演奏した2回目の録音がそれだ。

一聴、その強いパッション、物語性と抒情性の融合した力強い演奏が耳をとらえて離さない。そしてその造形をしっかり表出している録音にも魅了された。
私が今までの長く描いていた無伴奏チェロ組曲の「理想」を具象化した演奏が現出し、陶然と流れていく。


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