小説「すべてがFになる」その2

前回、「すべてがFになる」について書きました。

理系ミステリーとして、登場する天才たちの会話に酔いしれながら、自分も頭が良くなった様な錯覚に浸れる秀作。

この物語は、昨今の情勢を予言していた?と思える様な設定がたくさん出てきます。

※若干ネタバレを含みます!

まず物語に出てくる研究所は、完全テレワーク化してます。

まぁいまのテレワークとはちょっと違うんですが、それぞれが一つの研究所内にいるんですけど、お互い直接顔を合わせてやり取りすることは稀で、すべてメールや、ドローン(といっても作中ではアレクサが入ってるカートみたいな描かれ方でしたが。)でやり取りをしていて、勤務時間も完全にフリーです。
ミステリーだから人が死ぬ訳ですが、その時もZoomみたいな会議ソフトで対応を検討し合う。みたいなめっちゃ今っぽい描写があります。


それに価値観の描写についても面白くて、別シリーズで犀川がいう、

「なぜテレビを見ないといけない?マスコミが中立なら、オリンピックを批判する人間のことはなぜ報道されない?」
「テレビのディレクターに押し付けられる“感動”なんてまっぴらだ。」

っていう感じのセリフがあるんですけど、これをかなりの“極論”として作中で書いてるんですが、、

確かに、十数年前の作品なので、当時は過激な論だったと思いますが、これいまはもう普通の感覚ですよね。ツイッターに書いたところで炎上もしないと思います。

当時はまだまだ自分も周りも、“テレビが全て”だった様に感じます。


たいそうな装置に入り込んでの仮想現実も出てきます。VRとかARですね。
意識ごと仮想現実に入り込む。。というなかなか突拍子もない描写が出てきます。


他にも、真賀田四季博士が言う、

「エネルギィ的な観点で見れば、人が直接移動するべきではありません。」
「握手をすることすら、特別なことになるでしょう。」

というのは、コロナ渦を予言しているようですごいです。

実際にはエネルギー的な観点ではなく、ウイルスのせいですが。

作者の色々な妄想がたまたま現実に則しているのか。。それとも20年以上前に未来を見通していたのか。。

結構小説ってこういうこと多いので、ぞくぞくします。

色々見返したいし、同じ様な作品に出会いたくなってきました!

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