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去る5月31日は、神秘の森「春日山原始林」の周遊ツアーに参加させていただきました。

台風1号の影響で前日まで実施が危ぶまれていましたが、枚岡神社の社務所に努める起案者で、ファシリテーターでもある上野めぐみさんの執念で決行となりました。


小雨の降りしきる悪天候にもかかわらず、22名もの有志が集まりました。わたしがこの企画にもっとも魅力を感じたのは、元春日大社の権宮司で、現在はわたしの住む枚岡の氏神様、「枚岡神社」の中東弘宮司がガイドをされるという、贅沢な内容に惹かれてのことでした。

1941年生まれの中東宮司は、わたしと同世代という親近感を覚えましたが、1964年に春日大社に奉職、1997年に権宮司に就任され、2009年に枚岡神社の宮司に転籍されるまで、春日大社の奉職期間は45年におよびます。


周知のように、春日大社は奈良時代に平安京の守護と、国民の繁栄を祈願するために創建されましたが、摂末社は61社にもなります。



中東宮司はそれらをくまなく、ご自身の希少なエピソードを交えて案内してくださいました。奥の院の紀伊神社の主祭神五十猛命様は、素盞鳴命様の御子神で、紀伊の国へ樹木の種をもたらした樹神とされています。


九星気学では、わたしの本命星、月命星、傾斜宮とも木気一本であることから、木の神様紀伊神社の霊気に感応しました。

春日大社を後にして、高岡山の谷を超え忍辱山の谷を経て柳生街道へ向かいます。苔のむした自然石は雨に濡れて滑りやすく、山ヒルにやられた仲間の悲鳴が静寂を破ります。

およそ1時間の難路を登り切った地獄谷で昼食を摂りましたが、わたしは全身汗にまみれ疲労困憊でした。万歩計は1万歩を超えていましたが、中東宮司の非情のひと言がムチを打ちました。

「ここまでで、全行程の4分の1程度やな」。

荒木又右衛門ゆかりの「首斬り地蔵」を背にして再出発して間もなく、「鳴雷神社」(なるいかづち神社)で、全員で大祓祝詞をあげたあと、ワッハハーとお笑い神事が続きます。

枚岡神社のお笑い神事は有名ですが、従来は神職と関係者のみで行われていましたが、中東宮司が誰もが参加できる賑やかな神事にされたそうです。

大祓祝詞とお笑い神事は、険しい山の中に鎮座した神殿でも実施されました。


いよいよ世界遺産登録の春日山原始林(神山・御蓋山)の周遊コースに入ります。平安時代に狩猟と樹木の伐採が禁止されて以来、1000年以上も太古の自然を維持しています。なかには直径12mにもなる巨樹があるそうです。


うっそうとした樹林を歩くこと1時間、若草山の頂きにたどり着きました。小雨にけむってパノラマを愛でる楽しみは叶いませんでしたが、コースも終わりを迎えた安堵に浸ることができました。

足が棒になった状態で、近鉄奈良駅地下の居酒屋で直会の宴が開かれました。中東宮司の要請でカンパイの音頭をとらせていただきましたが、全コースを踏破できた喜びを共有できました。

万歩計は、約28000歩になっていました。

帰りの電車も、枚岡まで中東宮司とご一緒で、ざっくばらんなお人柄に触れられた幸せを噛み締めました。


中東宮司さまをはじめ、ご一緒させていただいた皆さま方と、ファシリテーターのめぐみさんに、感謝とお礼を申し上げます。

お疲れ様でした。そしてありがとうございます。

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