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愛人の怨念で、焼き殺された企業戦士



夢という漢字はdreamではなく、「呪詛されて死に絶えている」甲骨文字から生まれました。

猛暑のさなかですが、今日はわたしがブラジルで新聞記者時代に遭遇した、ミステリーをお話しします。

1960年代の中ごろから、日本企業のブラジル進出ラッシュで活気づきました。わたしも数社の、フィジビリィスタディ(企業化調査)のお手伝いをさせていただきました。

そのうちの一社が、壮大な構想を掲げて進出を果たしました。日本から大量の駐在員が送りこまれましたが、全員が単身赴任でした。

当時の為替相場は、1ドル360円の固定相場で、外貨不足から家族ぐるみの派遣は容易ではありませんでした。

円とドルの通貨の交換比率を示す、外国為替レートがニクソンショックを経て、変動相場制に移行したのは、1972年2月からでした。

サンパウロ市内には、高級料亭が数軒ありましたが、単身赴任の社員たちの息抜きの場になっていました。

A社の社員も常連でしたが、料亭の中居さんとねんごろになり、妊娠させてしまったのです。日本に妻子がいる彼は、結婚を迫られ焦りました。


お腹の膨らみが隠せなくなったある夜、彼は中居さんを深夜のドライブに誘い出しました。国道を猛スピードで走っていた、フォルクスワーゲンの扉が開いて、彼女は車の外に投げ出され、胎児もろとも即死しました。

警察では事故死扱いになりましたが、2人の関係を知っていた記者仲間の誰もが、殺人事件と疑っていました。


それから数週間経ったころ、彼の勤める会社から、バーベキューパーティの招待を受けました。ビジネス街の一等地に構えた本社屋は、広大なガーデンが広がっていました。


事件の余波を背負った彼も、ホストとして働いていましたが、突然、火だるまになって転げ回りました。火力をあげるために、エンジンオイルの廃油を炉に注いだのが、原因だと言われていました。

ガソリンではなく、発火点の低いエンジンオイルですから、全身に炎が燃え移るほどの勢いはありません。不自然な火災事故でしたが、記者仲間は深夜のドライブで事故死した、中居さんの怨念が乗り移ったと語りあい、背筋が冷たくなりました。

高度経済成長のさなかに起きた、企業戦士の、もの悲しくも壮絶な怪談です。

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